負の世界遺産 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 【ポーランド】
今回ご紹介するのは、世界で最も有名な負の世界遺産の一つ、
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所です。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所ってどんなところ?
端的に説明すると、第二次世界大戦中にナチスドイツが、現在のポーランドにつくった、主にユダヤ人の強制労働および虐殺施設です。
戦争中に捕らえられた数え切れないほどのユダヤ人が収容され、虐殺された収容所のひとつとして世界的に知られています。
(ユダヤ人以外にも障がい者、捕虜、政治犯、その他当時の社会的弱者も収容されていました)
場所はポーランドのオシフィエンチム(ドイツ語名:アウシュヴィッツ)にあります。
第一〜第三収容所まで建てられ、現在は第一(基幹収容所)、第二収容所(ブジェジンカ村、ドイツ語名:ビルケナウ)のみ残っており、世界遺産に登録されています。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所という名称はこの第一、第二収容所を合わせた呼称ということですね。
第一収容所と第二収容所は約4km離れており、無料のシャトルバスで移動します。
現在はポーランドの国の機関がアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を管理しており、基本的にガイドツアーを予約して内部を見学することになります。
予約は公式ホームページで行います。
(2020年6月末までは閉館中です)
ガイドツアーの所要時間は第一収容所だけで約2時間、第二収容所も含めると約4時間程度です。
こちらへの訪問と見学には丸一日費やすのが一般的です。
早朝の時間帯であれば、個人で巡ることもできますが、オシフィエンチムに宿泊しなければ不可能な時間帯です。
ガイドツアーは英語だけでなく、なんと日本語でのガイドもあります。
アウシュヴィッツでは中谷剛さん(Wikipedia)という方が、最初で唯一の公認外国人ガイドとして活躍されています。
中谷さんにガイドを希望される方は、中谷さんのメールアドレスに直接メールを送って問い合わせしてください。
もちろん私もガイドをお願いしたのですが、当時は大手旅行代理店の予約対応で個人対応はできないとのことでした。
連休中の個人客はまず予約できないと思います。
個人旅行の辛いところですね…。
起点はポーランドの古都クラクフ
アウシュヴィッツは、ポーランド南部にある古都クラクフからバスもしくは鉄道+徒歩で行けます。
クラクフはワルシャワ やプラハ、ウィーンなどからの直通高速列車や、国際空港があるポーランド第三の都市です。
ただクラクフからオシフィエンチムへの移動には時間がかかる為、クラクフに宿泊して翌朝に向かうのが一般的です。
クラクフ(クラクフ中央駅)からの所要時間
バス:1時間半
鉄道+徒歩:2時間
私はもちろん、鉄道で行きました。
だって途中トイレに行けますしね…。
13:30のガイドツアーを予約した私は、クラクフ中央駅から10:27発オシフィエンチム行きの鉄道で向かいました。
終点なので寝過ごす心配もありません。
オシフィエンチム駅に着きました。
駅の中にトイレがありますが、有料でした。
駅からアウシュヴィッツまではバスもあるのですが、せっかくなので歩くことにしました。
徒歩約25分です。
施設の前にやってきました。
当日券もないことはないですが、予約しておいた方が確実です。
(ポーランド有数の人気施設なのだとか…)
前述の通り、私は13:30からの英語のガイドツアーの予約をしていました。
それまでに入り口近くの荷物預け所にリュックを預け、身軽になります。
建物入り口。
空港のような手荷物検査場があります。
予約したチケットをかざし、中で受付をし、ヘッドホンを受け取ります。
ガイドさんがマイクに向かって話した内容が流れてくる仕組みです。
また、配られたシールを分かりやすいところに貼付します。
自分がどのグループのメンバーなのか分かりやすくするためです。
ガイドツアー中に迷子になる人が少なからずいるようです。
ガイドツアー開始 第一収容所
----ここから先はショッキングな内容が含まれています----
20名前後の見学者が1グループとなり、ガイドツアーが始まりました。
この日は生憎の雨でした。
収容所入り口。
有名な「働けば自由になる」という意味です。
実際は自由なんて微塵もありませんでした。
アウシュヴィッツ に入れられた人々はどこからやってきたのかを解説する図です。
当時のナチスドイツの占領地域各所から運ばれてきたことが分かります。
アウシュヴィッツ の位置関係を説明するガイドさん。
この時点で我々は右手の位置にいます。
「貨物列車ですし詰めにされてアウシュヴィッツに運ばれて来た人々は、ナチスの親衛隊(SS)により、労働のために生かされる人とすぐに殺される人に選別されました。SSは『シャワーを浴びせてやる』と嘘をつき、暴行を加えながら、狭い毒ガス室に一度に2,000人を詰め込みました。そして外から鍵をかけて閉じ込め、毒ガスを投入し、殺しました。犠牲者の遺体は裸にされ、身に付けていた貴金属や金歯などは奪い取られ、髪の毛は刈られ、遺体は収容所内で焼却されました。犠牲者それぞれの記録は抹殺されています」(意訳)
当時の様子の復元模型です。
中央の写真は死体の焼却炉です(後で写真を掲載しています)。
毒ガス室に投入された薬。
ツィクロンB、チクロンB、サイクロンB(英:Cyclon B)という名称の農薬、殺虫剤です。
シアン化合物(青酸化合物)であり、動物にとって猛毒の青酸ガスを発生します。
大量のツィクロンBの空き缶。
アウシュヴィッツには20トンのツィクロンBが納品された記録が残っているそうです。
犠牲者の眼鏡。
犠牲者のコップ。
犠牲者の食器。
犠牲者の鞄。
「後で返却するときのために名前を書け」と言われたために、鞄に名前が書いてあります。しかし返すなんてもちろん嘘です。その前に殺されました。
犠牲者の靴。
両側にぎっしりと積み上げられています。
これでもごく一部です。
この他にも犠牲者のブラシ、髪の毛などが展示してありました。
「アウシュヴィッツに収容された人々は、過重労働、飢餓、虐待、拷問、あまりにも酷い環境への絶望、人体実験、見せしめの処刑などで亡くなっていきました。弱った人々は次々にガス室送りか薬物投与で殺されていきました」
ソ連軍捕虜に対しては、囚人番号の入れ墨を行って管理していました。
アウシュヴィッツの囚人服です。
この柄の服は、良識のあるブランドであればまず販売しません。
「収容者は1日およそ1,500~1,700kcalの食事しか与えられず、毎日11時間働かされていました」
痩せ細った収容者の写真。
生存者が作成した「STARVATION(飢餓)」という作品です。
一旦、外に出ます。
収容者のベッド。これは待遇としては比較的良い方です。
銃殺刑が宣告された収容者に対して、服を脱ぐよう指示された部屋です。
この場で射殺された収容者もいます。
通称「死の壁」と呼ばれている場所です。
この前に収容者が立たされ、至近距離で銃殺されました。
収容者の体を貫通し、壁にめり込んだ弾痕が今でも残っています。
収容所の中心部にあるこの場所では、見せしめの絞首刑などが行われました。
収容所の周りには人が触れると即死する高圧電流が流されている有刺鉄線が二重に張り巡らされていました。
この収容所のあまりの惨さに絶望し、わざと感電死する収容者も多数いたそうです。
もちろん、この有刺鉄線に不用意に近づいただけで監視塔にいる職員によって銃殺されることもあります。
1940年からアウシュビッツの所長を勤め、収容者の虐殺を指導したルドルフ・ヘスは、戦後この場所で絞首刑となりました。
※この絞首刑台は復元されたものです。
ガス室の一つです。
天井には先ほどの毒ガス薬の投入口がありました。
収容者の遺体の焼却炉です。
この遺体の焼却作業も収容者の仕事でした。
意外なことに、この収容所内での虐殺は秘密事項でした。
そのため、この秘密を守るために、死体の焼却を担当する収容者も定期的に「交代」していました。
※ガス室も焼却炉も復元されたものです。
元々あったガス室と焼却炉はナチスドイツ兵撤退時に証拠隠滅のため、破壊されました。
これで第一収容所の見学は終了です。
所要時間は2時間でした。
ここで帰られる方もいました。
英語ツアーにして正解だったかもしれません。
全て日本語で説明されていたら細かいニュアンスも理解できてしまい、大変な精神的負荷を受けていたかもしれません。
第二収容所 ビルケナウへ
さて、ここからはガイドさんと共に無料のシャトルバスに乗って第二収容所ビルケナウに向かいます。
5分ほどで世界史の教科書で見た覚えのある建物の前に着きました。
通称「死の門」。
ビルケナウを象徴する代表的な建物です。
内側からの風景です。
引き込み線が枝分かれしています。
戦後80年近く経った現在でも各国の訪問者から花が捧げられています。
この写真の奥の方にぼんやりと先ほどの「死の門」が見えますね。
一体どれだけの広さがあると思いますか?
ビルケナウ第二収容所は1.75㎢と非常に広大です。
ざっくりいうと神戸空港よりも広い面積です。
そして、引き込み線の長さは約2kmあり、新幹線であれば16両編成が4〜5本入ります。
ただ人を殺すためだけの施設にこれだけの施設を作ったのです。
引き込み線の最奥にはガス室と焼却炉がありました。
しかし、こちらも戦況が悪化して撤退するナチスドイツ兵によって破壊され、証拠隠滅が図られました。
こちらは復元されずそのまま残っています。
収容者をすし詰めにして運んできた客車です。
建物と建物の間隔は広く取られており、脱走を図ったとしても姿を隠すことは困難です。
これから収容者の施設(荒屋)を見にいきます。
中に入れる建物は限られています。
中には基本的に木のベッドしかありません。
こんな木の板に、一段当たり4,5人が寝ていました。
冬でも夏でもこの有様です。
衛生環境も酷く、飢えと寒さに耐える日々だったようです。
見学者のどなたかが花を置いていったようです。
以上で見学は終了です。
13時30分に始まったガイドツアーは17時過ぎに終了しました。
最後に
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所はポーランドにあるとはいえ、ポーランド人ではなく、ドイツ人が作ったものです。
なので、この施設の存在をあまり快く思っていないポーランド人の方もいらっしゃいます。
そういった観点を頭の片隅に残していただければと思います。
下記のリンクはポーランドのクラクフもしくはクラクフ近くの素晴らしい観光名所の紹介noteです。
ぜひ見てくださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。