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心を守るために諦める(=明らかに見極める)こと

Healthy boundaries

健全な境界線

ちょうどコロナ禍に入ってすぐ、
色々な理由から
精神的に弱っていた時期に

マインドフルネスのクラスを
オンラインで受講するようになった。

週に一回、心の動きがどうなっているのか
どう付き合っていけばいいのか

マインドフルに観る時間。

それを日常生活にも取り入れて

今も日々
練習を続けている。

受講を始めて間もない頃、

“healthy boundaries
健全な境界線”

他者との間に程よい距離を置くこと


という言葉を教えてもらった。

それは実際の距離だけではなく
心の距離の話でもある

優しさを生きていけるために

自分の心を守ることは
必須


セルフケアに
境界線の考え方はあって当たり前で

絶対に欠かせないもの


ということを教わった。

そのお話を聞いて、

自分が今まで
悩まされていたことの
だいたいの原因が

この“境界線”にあることに
気づいた。

例えば
コロナ禍

だれかに会おうと誘われた時、

まず頭に浮かぶのは

自分がどうしたいか

ではなく、

職場、家族、友達など

あの人はどうだろう、
どう思われるだろう、
断ったら
嫌な思いをさせてしまうんじゃないか

そんなことがぐるぐるエンドレスで
頭を駆け巡って
すごくしんどくなってしまった。

特に日本人は、
他者との間に境界線が引きにくい
文化をもっている気がする。

気を使うこと
相手の気持ちをくみとること
空気を読むこと


それらが良しとされてきた。

それができる人は良い人で
できない人は良くないと

思い込むところがあったように
思う。

そうして過ごしていると

他者と自分との境界線が曖昧

他者の顔色や気持ちばかり伺って

自分がどうしたいのか

ということは
後回しになっていた。

というより

もはや自分がどうしたいのか

他のものに覆われてしまって
気づくことすら
難しくなってしまっていた



そんな風に過ごしてきた中で
コロナ禍に突入し、

一人一人感覚に違いがあって
何が正解かもわからない状況におかれて、

苦しさが増しているとき、


この
healthy boundaries
という言葉、考え方を知った。


自分の心を守っていい

どれだけ近しい存在

例えば
パートナー

きょうだい

が相手であったとしても、

自分の心のスペースは守っていい。

それが自分が人として
より良く生きるための

最低限のケアであって、

自分のスペースは

相手がだれであろうと、

だれも侵すことはできない
ものだと

教わった。


だから
心を守るために

境界線を引いて
程よい距離を保つことは

大切なことなのだ。

自分の感じ方、考え方は

どれだけ似た環境で育ってきた
家族のように
近しい人とだって

違うことは
あって当然だし

自分なりの考えをもつこと
誠実に正直に伝えることは

悪いことでも
ワガママでも
ない

自分の心を守るために
必要なこと。

そして、それはもちろん
相手にも言えることで、

相手には相手の
感じ方、考え方があるということ。

例えば
パートナーだったり
子どもだったり
親だったり。


相手を変えようとすること
境界線が曖昧
なってしまっているということ。

相手のスペースを
侵してしまうこと
になる。

お互いに思いや考えがあることを
認め合い、
尊重し合うこと。

そこに着地点が必要であるなら、

何度も対話をしながら、

でも、きちんと境界線を引いて、
適度な距離を保ちながら

(たまには
距離や時間を置くこと
必要になるかもしれない)

お互いの想いや考えを
伝え合い
聴き合い


お互いに納得する解を
探っていこうとする

その時間、プロセス

大切なのだと思う。

それはすごく難しいことだとは
思う。

だからこそ繰り返し
相手と対話すること、

自分の心と対話する
練習が必要だ。

私自身、苦い経験もあり
対話することに
苦手意識というか
恐怖心もある。

だから今、
色んなところで
色んな人と
対話の練習をしている。

自分が誠実に精一杯伝えても
相手に伝わらないことも
もちろん、あるかもしれない。

怒ったり悲しんだりされるかもしれない。


でも、それは
相手が向き合うべき事柄であって、

そこには、きっと
その考えに至る
相手の経験や思考や観念があるのだろうと
想像することはできるとしても、

私自身がそれを必要以上に
背負う必要はない。

無理に変えられるものでもない。


なんでわかってくれないの!!と
相手を変えようと説得してみたり、

相手の不安や悲しみを背負って、
私が悪いんだ…と自己否定して
相手に合わせようとしてしまったり

そんな自分に気づいたら

境界線が曖昧になっている

と捉えて観ることが
まず第一歩なんじゃないだろうか。


3つのBusiness(事柄)

さらにその講座の中で知った、

他者との間に境界線をひくため
大切にしている言葉がある。

アメリカ人の著者の方で
バイロン・ケイティさんの言葉。


『世の中には3つのBusiness(事柄)がある。

ひとつめはMy Business(私の事柄)

ふたつめはYour Business(あなたの事柄)

最後はGod’s Business(神様の事柄)』


この3つがクリアになると

私がフォーカスすべきは
my businessだけであって、



相手がどう考えるか(your business)とか

災害の心配をし続ける(god's business)とか

それは自分にはコントロールできない領域


自分に相手に誠実に、
自分ができることを
やれるだけやったら、

もうこれ以上そこにフォーカスするのは
やめようと

あきらめる(語源は「明らかに見極める」)

ことがしやすくなる。


そんな風に思考の流れを眺めて気づいて
フォーカスを切り替える練習をしていると、

いつまでもズルズルうだうだ
悩んで考えて落ち込む時間が

少しずつ減ってきたように思う。


ニーバーの祈り

そして、
この言葉と一緒に
思い出すのが

“ニーバーの祈り”。

ニーバーの祈りとは、

アメリカの神学者
ラインホルド・ニーバー(1892–1971年)が
作ったとされる祈りの言葉。

O God, give us

serenity to accept what cannot be changed,

courage to change what should be changed,

and wisdom to distinguish the one from the other.

Reinhold Niebuhr

原文

神よ

変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、
変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

ラインホルド・ニーバー

翻訳 大木英夫

今、自分は何を感じているのか。

なぜそう感じるのか。

私はどうしたいのか。

何ができるのか。

私が変えられるものは何なのか

いつも
自分の心に寄り添って

心を

見て
聴いて
知って


自分に誠実で
心がclearな状態

で“在る”ことに

フォーカスして
過ごしていきたい。