「セーラー服は17歳の特権なの だからわたしたち、いつまでも少女でいたいね」 わたしのセーラー服への羨望は どうして、年を追うごとに強くなっている。 靴下は白しかダメ、スカートは膝下。 髪の長さだって決められて、 セーラー服の少女たちはみんな校則に縛られて生きている。 あの頃は確かにそんな日々が息苦しくて、 早く抜け出したかったはずなのに 自由を追い求めていたはずなのに 今のわたしにはそんな感情さえも愛おしいの。 自由になりたい。なににも制限されることなく、何者にでも
神様なんていない あの世ではきっと、賛美歌なんて流行らない。 だから、わたしは芸術を拠り所とした。 効率や意味といった現実的な世界から離れていて、ただ自分の感情を押し付けることができる存在に安堵する。 作品には基本的に作り手の意図や思惑が 潜在的であれど介在しているが、 それが全面的に表れるのは如何なものか。 わたし自身はそれを望まない。 なんの意図も透けて見えないものを崇めるのは、端的に言えば楽なのだ。 誰かの思考に縋るのは確かに心地よいが、 信じたものに裏切られ
わたしのbioの、この一文について わたしにとって、生きているうちの楽しみや 苦しみ、美しい景色も地獄のようなあの日々も 全部全部、ただの延命行為でしかない。 21歳。 まだ自分の中の少女を脱ぎ捨てられないわたしは、これまでの人生で何度死にたいと嗚咽しただろうか。 心ごと自分を売って、どうしようもない絶望の底にいても わたしはずっと死にきれない。 抱えきれない希死念慮とともに生き永らえて 延命治療という自傷行為を繰り返す。 こんなにも苦しいのに、散り際になれば 儚く