砂場から見たゼロ年代
✳︎記事後半である映画についてネタバレ全開で触れているので、気になる人はその段飛ばして読んでください。
ケータイ、ハリポタ、オレンジレンジ。
フレンドパーク、プラズマTV。
LISMO、ミニモニ。、ほしのあき。
ヤンクミ、嬢王、911。
97年生の僕にとってゼロ年代とは、あらゆる原初体験の詰まった期間だった。また僕にとっては、自発的に音楽や本に触れる前の、垂れ流しのTVCMが唯一流行との接点だった頃でもある。
時々、いやかなり頻繁に、この時代のことを、ゼロ年代のカルチャーを懐かしんで振り返ることがある。きっとそれは、あらゆる責任から自由だった幼少時代に戻りたい、という退行現象の一種なのだと思う。ゼロ年代のメインストリームに、直接的に思い入れのあるものはほとんど一つもないのだけれど(サブカルチャーはなおさら)。それでも、自分の中でも薄ぼんやりなあの頃の世界を抱き枕にして眠りたくなることが、しばしば頻繁にあるのだ。
思えば、2010年代、とくに2015年あたりからはやたらオシャレな時代になった。Instagramでみんなが自分の生活の一部を切り取って提供しはじめた。音楽でいえば、ヒットチャートには垢抜けて技巧派な曲がランクインするようになった(King Gnuとか米津玄師とか)。80年代のシティ・ポップやニュー・ウェイヴの中古盤にはものすごい高値がついて手が出せなかったりする。エンタメはショーとしての娯楽ではなく、受け取り手がファッションやプロフィールとして纏うものへと少しずつ変容していっている。
何だか、00's→2010'sの移り変わりは70's→80'sの時代の雰囲気に似ている気がする。無論僕は70年代80年代を目撃したわけではないけれど、80年代になってダボシャツにハラマキのオヤジがいなくなったことと、2010年を過ぎてキムタクみたいなヘアスタイルを誰も真似ようとしなくなったことは、同じような流行の移ろい方のように思える。そもそも、キムタク自身が今はそんなに長髪にしてないし。「うわ、ホストみてえな髪型、ダッセー!」をバネにして、どんどん洗練を目指していく方向に時代が動いているのかな、と感じる。
でも、疲労困憊で起き上がれない時、訳も無く憂鬱な時、空元気すら絞り出せないような時、オシャレなものは決して僕を慰めてはくれない。そんな時は音楽も映画も、皆自分の敵になったように感じる。洗練されたあいつらは自分のポジションを厳格に守って、膝を抱える僕を遠くから眺めているだけだ。
そんな時、僕の側にいてくれるのは、ダセェと切り捨てられ過去に押しやられた一世代前のやつらだ。ちょっとだけ古いあいつらは僕の胸に手を当てて、実家のマカロニサラダの味や、遊んで砂利だらけになった脛の感触なんかを思い出させてくれる。あいつらは、僕をノスタルジーもろとも抱擁してくれる。
いや、確かにダサいのだ。目も当てられないほどダサいのだ。ダサいのだけど、それでも死んではいないのだ。「あの曲も、あの映画も、恥ずかしくなるほどダサいけど、こうしてちゃんと聴くことができる、観ることができるだろ?」と。そりゃ、作った側からすれば嫌な受け取り方だろうが、実際僕はこうして作品から元気を貰うことがよくあるのだ。
菅原文太主演の「トラック野郎」シリーズ第10作「トラック野郎 故郷特急便」は、シリーズで唯一、主人公の桃次郎がマドンナを振る展開が用意されている。歌手の夢を諦めて桃次郎と一緒になろうとするマドンナを、桃次郎は無理やり舞台に運び置いて行く。79年の暮れに公開された本作は、トラック野郎・星桃次郎からの「到来する80年代へのやさしい絶縁状」とみることもできる。振られっぱなしの桃次郎が自ら若い娘との結婚のチャンスを手放したのは、「お前はこれからの人間だ、可能性に賭けて勝負しろ。けど俺はそっちには行けない、こっちの世界でずっと生きてくとするよ」という桃次郎の意志表明だったのだろう。そしてこの10作目が奇しくも「トラック野郎」シリーズ最終作となっている。桃次郎はついぞ79年と80年の境を越えることができなかったのである。何故だか僕にはそんな選択をした桃次郎が愛おしい。
だからゼロ年代特有のダサさを持った作品たちに対しても、僕は懐かしさを超えて愛おしさを感じてしまう。僕にとって多分、ゼロ年代メジャーシーンは一生僕の拠り所になるのだろう。こういう心のポケットは、皆それぞれ持っているものなんだろうか。
最後に、ゼロ年代最強アイコン堀北真希を添えて。