[書評]美術工作者の軌跡
照井康夫編『美術工作者の軌跡 今泉省彦遺稿集』海鳥社、2017年
かつて詩人の谷川雁は工作者の思想を提起した。それは「大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人にたいしては鋭い大衆である」ような両義性を指している。谷川と交流のあった今泉省彦は、まさしく工作者を体現した美術家だった。本書を読めば、その書名が正鵠を得ていることがよくわかる。
今泉が美術工作者であるのは、彼が長らく絵を描かない画家だったからだけではない。「美術」にたいする批判的な距離を一貫して保っていたからだ。美学校の創立をめぐる逸話や、風倉匠や菊畑茂久馬についての作家論は、1950年代から70年代にかけての美術の現場を間近で目撃していた者ならではの筆致で、心が躍る。
だがその一方、今泉はただ現場に埋没していたわけではなかった。芸術裁判として名高い赤瀬川原平の「模型千円札裁判」で、多くの美術関係者が赤瀬川を芸術擁護の立場から弁護したなか、今泉は「スリやカッパライと同断」として罰を受けよと批判した。それは、今泉が芸術を秩序や法に抵触せざるを得ない「匕首の刃」として考えていたからにほかならない。
美術工作者とは、美術家とともに現場を創り出しつつ、ときに美術家を批判し、ときにその作品を厳しく批評する、きわめてまっとうな役割を示している。批判なき同質性をもとに集団を組織したり、逆に集団の外部との没交渉に居直ったりしがちな昨今の現代美術に欠落しているのは、このような誠実な態度だろう。
本書の白眉は、それが戦後現代美術の通史としても読める点にある。コンセプチュアル・アートがマテリアルを消すことでコンセプトを残したとすれば、もの派は「概念を付着させずに物そのものを提示し、考える部分を観る者にゆだねてしまう営為だった」。今泉の他に、これほど明快にコンセプチュアル・アートともの派の相違点を整理した例を寡聞にして知らない。
美術史を更新できるのは、美術評論家ではなく学芸員でもなく、美術工作者なのだ。
初出:「西日本新聞」2017年10月15日朝刊16面