[書評]破壊と否定と反逆の時代精神
切り刻んだ新聞記事の単語を無作為につなげて朗読する詩や、美術作品の体裁で見せられる既成品の便器——。ダダイズムとは、あらゆる既成の価値観に抗した芸術運動である。それは20世紀初頭のチューリッヒで始まり、やがてパリやベルリン、ニューヨーク、そして日本にも飛び火した。それは「世界最初のグローバルな芸術運動」だった。
本書はダダイズムの成立と展開を克明に解き明かした。類書は数あれど、世界同時性と複数性の観点からダダイズムを振り返った点に独自性がある。とりわけ東欧やスペイン、ラテンアメリカへと拡散していたった軌跡を丹念に追った筆致は読み応え十分。読者は、当時の世界中に吹き荒れていた破壊と否定と反逆の嵐を、ある種の「時代精神」として実感することができるはずだ。
とはいえ、本書が指摘しているように、ダダイズムとは時空を超えて今なお進行中の「精神状態」でもある。だとすれば、それは特定の時代に限定された芸術運動というより、むしろ隔世遺伝のように現われては消える断続的な運動性を意味しているのではなかったか。
たとえば、ほぼ同時期にヨーロッパを訪ねた無政府主義者の大杉栄は、「生の拡充」を唱えながら、それを阻む政治権力や社会慣習に全身で抗っていたという点で、きわめてダダイストに近い。あるいは、1960年代の終盤に、福岡県北九州市を拠点に活動した「集団蜘蛛」は、いわゆる「反芸術」にすら反旗を翻すほど否定の実践を極限化させたという点で、ダダイズムという冠を自ら被った「ネオ・ダダイズム・オルガナイザー」以上に、その正統な後継者であると言えよう。たとえ本書で直接言及されていなくても、拡張するダダイズムと同期するかのように、読者の想像力はどこまでも広がっていくのである。
ダダイズムは第一次世界大戦を背景に生まれた。新たな激動の時代を迎えている現在、はたして私たちはどのようなダダイズムを目撃するのだろうか。
初出:「西日本新聞」2018年4月21日朝刊12面
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