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どこで本を買いますか? 

月に3、4冊Amazonで本を買う。大概が古本だ。値段も安いし、全国の古書店から送られてくる荷物はだいがい梱包も丁寧で、文句のつけようがない。エコにも貢献できる。

Amazonの検索しやすさと利便性がなければ、こんなに古本を買うことはないだろう。この仕組みに感謝している。

一方でがっかりすることもあった。この前、予約していた新刊がAmazonから届いて、封をあけて悲しくなった。

帯はななめに曲がっているし、カバーははずれかかっている。雑に扱われたかんじがする。新しいハードカバー本の凛とした気配が消えてしまって、くたっと疲れている。楽しみにしていたエッセイ本だけにもっと大切に扱って欲しかった。

けれどAmazonにしてみたら、洗剤を送るのも本を送るのも携帯のケーブルを送るのも何も変わらないのだ。

がっかりしながら、私は決めた。

Amazonで本は予約しないぞ。

予約する本って発売されて手元に届くまで、ワクワクしながら待つ特別なものでしょう。しかも正規のお値段で買うわけだから余計に襟をただして受け取りたい。その思い入れもふくめて託すには、Amazonはふさわしくない。私のなかの基準ができた。

こういう本の買い方の話は面白いので、もう少し書いてみよう。

時々「本屋を応援したいから、本はかならず街の本屋で注文して買います」という人にでくわす。そういう人を何人か知っている。

もちろんAmazonは使わず、街のお気に入りの本屋で本を注文をしたり、店主からおすすめされた本を買うのだそうだ。

そういう話を聞くと、正直ちょっとおののいてしまう。

毎回注文して取りに行く手間がかかるし、お値段もかかるけど、自分が苦労をしてでも、相手、つまり街の本屋、を応援するというのが、彼らの美学でありポリシーであり喜びなのだろう。なんと尊い・・・。

私も昔、商店街で食材屋の店長をしていたので、そうやって、毎回かならず買ってくれる常連さんがどれだけありがたいか、知っている。でも、私は基本的に自分本位な奴なので、そういう常連さんにはなれないことも知っている。

「毎回かならず本屋で買います」という気高きフォロワーシップ精神の持ち主を前にすると、自分にはないものをみて、なんだか小さくなってしまうのであった。

そんな私にも、積極的に本屋で本を買うときがあって、それはきまって旅先である。

いい本屋に出会うと嬉しくなって、何時間でもいてしまう。そして、4冊・5冊買いこんで、重たい荷物をひきずって帰ってくる。旅先で出会った本屋は、店内の雰囲気も、買った本も、全部覚えている。

たとえば尾道の「紙片」・大分の「かもしか書店」・三島の「yachtbooks」・福岡の「ブックキューブリック」。どの本屋も濃密だった。

なんで旅先なのかと考えてみると、新しい土地にいってだんだんと心がひらけていくのと、気になる本をペラペラとめくりながら本の世界にいざなわれていくのは、感覚が似ているのだ。どちらも非日常の魅惑である。

旅先では感性が開放されて、本と響きあって、眠っていた物語への欲望が吹きだす。活字の言葉が情報ではなくて、生きた言葉として心にはいってくる。立ち読みしながらはっとしたり泣きそうになったりしながら、この本を持ってかえろうと思うのだった。

本屋でいろいろな方向に好奇心を刺激してもらって、ゆりかごの中で甘えている赤ちゃんのように安心して、お財布の紐もどんどん緩むのであった。めったに来れないと思うと、余計に欲張りになる。それで何冊も持ち帰る。 

帰ってきてから、買った本を読んでいると、旅の続き、という感じがして、これがまたよいんだな。

そんなわけで、私の本の買い方は、日常は合理的に、非日常では感性優先にして、使い分けている。毎回絶対に本屋で、といったポリシーはないけど、自然とバランス感覚はあるかな、と思う。

さて、みなさんは、どこでどんな本の買い方をしますか?語ってみると面白そう。




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