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オカンが認知症になった (1)

これからは、先日公開した書いたドタバタ劇の最中にオカンに発生した様々な変化を紹介するお話をしていこうと思う。

実際、オカンが認知症になった。
正確には長い間をかけて認知症が進行していたのだが、本人が出す認知症のサインを周囲の人間は「たいしたことない」と思って見逃してきたんだと思う。
今回はボクが認識した最初のサインについて書いてみることにした。
よく言われることも含まれているけれど、お付き合いいただきたい。

安来・出雲旅行

2017年の3月、両親を連れて安来・出雲へと旅行に出かけた。
オヤジは85歳、オカンは79歳の時だ。

スーパーはくとに乗ってJR大阪駅から安来市駅へと向かう途中、オカンが言った。

「わたし、ここに来たことあるわ。✕✕さんと○○さん、△△さんと一緒でなあ。岡山駅で乗り換える時に○○さんが間違えて、倉敷に行ってしもてん」

安来駅に到着するまでの間、オカンは3回くらい同じことを言っていた。
実は、オカンはボクが小さい頃から同じことを繰り返して何度も言う傾向があった。
そのせいで、ボクは「はいはい」と聞き流してしまっていた。

安来市駅に到着すると、まずタクシーに乗って旅館に行き、荷物を預けた。
一棟貸しの別館で、写真の通り庭の中心でかけ流しの温泉に浸かれるというかなり贅沢な部屋だった。両親の年齢的に考えて、これが最後の旅行になりそうだと思い、奮発したのを覚えている。

宿泊した旅館の庭にある源泉かけ流しの温泉

旅館では部屋の準備ができていたので、まずは部屋の中で休ませてもらった。
このとき、まずお茶を淹れたんだけど、お茶菓子にボクはたまたま買ってきていた岩手銘菓の「かもめの玉子」を出した。4個入って1パックにされたお手軽タイプだ。それを取り出してオカン、妻、ボクの3人で1つずつ食べることになった

「へえ、かもめの玉子って言うんかいな」

オカンはしばらく包装紙をじっと見て、「あんた、また岩手行ってきたんかいな?」とボクにたずねた。「いや、堂島に東北の物産を取り扱う店があって、そこに寄ったときに買うたんや」と、ボクは返事をした。「へえ……」とオカンは言うと、包装を引きちぎるように破って食べた。

30分ほど休憩し、小用などを済ませて全員で足立美術館に向かった。

足立美術館は旅館から徒歩で5分もかからない位置にあった。
美術館の中に入り、庭を眺めながら歩いていると、「わたし、この美術館に来たことあるわ。倉敷に行ったときにな――」とオカンは電車の中と同じことを話しだした。
オヤジは「何を言うとんねん、ここは安来やで」というし、ボクも「倉敷は大原美術館、ここは足立美術館やで」と言い聞かせた。
実際、ボクも倉敷の大原美術館に行ったことがあるが、足立美術館のように広大な庭園があるわけでもないし、展示物も大きく違う。普通なら間違えるようなことはないのだが、オヤジ、ボク、妻の3人はオカンの勘違いだろうと思い込んでいた。

最初のサイン

足立美術館をひと回りしたところで、旅館へと戻ってきた。
早速、妻がお茶を淹れてくれた。異変はそこで起きた。

「オカン、それはオヤジの分や。オカンはここに着いた時に1つ食べたやろ」

残ったカモメの玉子を取り出し、食べようとするオカンにボクが言った。オカンの返事は思いもよらない言葉だった。

「何ゆーてんの、わたしはこんなお菓子、食べたことないわ」

「お義母さん、旅館に着いてすぐに食べたじゃないですか」と、妻が言う。だが、オカンは頑としてそれを認めようとしない。

「こんなお菓子、初めて食べます」

オカンは妻や兄の妻がいる場では、丁寧語を使う傾向がある。

妻の両親の生まれが岩手にあり、ボクは何度か岩手に行っていた。その際にも「かもめの玉子」は買って帰り、実家にお土産として手渡してきたし、実家で一緒に食べたこともある。

二、三時間前に食べたことを忘れているし、その際に会話した内容も覚えていない。更には、何度か食べたことがあるはずの「かもめの玉子」を初めて食べたと言い張っている。

――オカン、認知症になってるんとちゃうやろか

ボクの頭の中に、はっきりと認識された瞬間だった。

妻に目を向けると、妻もボクの目を見て呆れたような顔をした。
食事を終え、風呂に入ってベッドで妻に言ってみた。

「なあ、『かもめの玉子』を食べた時のオカンのこと、どう思った?」
「(認知症が)来てるな」
「せやな……やっぱり(認知症が)来てるよな」
「お義父さんは気がついてへんのかな?」
「どうやろう? 同じことを何度も言うのはそれこそボクが小学生の頃からずっとやし、ボクのことを呼ぶのに長男の名前、次男の名前を呼んでからでないと、ボクの名前がでてけえへん人からな。オトンも『またアホなこと言うとるわ』って思ってるくらいかも知れん」
「もう少し様子見かな、お義兄さんたちの意見も聞きたいし」
「せやなあ……」

こんな会話をしてボクと妻も眠りについた。

二日目

翌朝、普通に起きて朝食をとり、電車に乗って出雲大社へとお参りに行った。
少し前に出雲大社の人気が上ったせいで、観光客は多かったと思う。
駅前から出雲大社までタクシーで移動したが、タクシー運転手が出雲の特徴を色々と説明してくれたりした。家の敷地にお墓があること、屋根の上に大黒様が飾られていること等々、それはもう饒舌に話してくれたのを覚えている。

出雲大社神楽殿 大注連縄

オヤジは仕事もあって出雲に来たことがあったらしい。だが、オカンは初めてだと言っていた。
昼食に出雲そばを食べ、午後になって松江に移動した。
松江城を散策したりしたのだが特にオカンの様子に変なところはなかった。ただ、黙ってついてくるだけだった。

運行前に安来駅に停車していたトワイライトエキスプレス号

余談だが、このときに安来駅のホームに運行前のトワイライトエキスプレスがとまっていた。
次に来るときは、これに乗ってこれるといいなあと話をしていたのを覚えている。なお、ボクは鉄っちゃんではない。

夕方になって旅館に戻り、夕食後に安来節園芸館を見に行った。

結局、この日は特に何かを繰り返し言ったりすることはなく、食べたものを「まだ食べていない」などと言うことはなかった。

三日目

翌朝、朝食後に再び足立美術館に入り、昼食をとってから大阪に戻った。

帰りは大阪まで一本で帰れる列車がなく、岡山で乗り換えることにしていた。電車が遅れたりすることや、高齢の両親が疲れることを考えて乗り換え時間に30分ほど余裕を見ていたのだが、思った以上に時間があった。

このとき、在来線側の待合所でオカンはどこかぼんやりとしていて、黙って座って待っていた。隣に座って横顔を見てみると、何かを考えているようにも見えた。でも、ボクは特に話しかけはしなかった。多分疲れているんだろう、と思って声を掛けなかった気がする。

新幹線に乗り換えて、新大阪へ。そこからタクシーで両親を実家に送った。

この時、オカンの様子についてオヤジと少しでも話をしておくべきだったのかも知れない。
今となってはそう思って少し後悔している。


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