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レンズの焦点―捨てる神あれば、拾う神あり③

10年以上も前のこと。神保町の三省堂書店の裏手に、まだ昭和の面影が残る仕舞屋がそこだけ取り残された一角があった。その一軒が古風なバーに改装されていた。バーの名前は「人魚の嘆き」。谷崎潤一郎の短編小説のタイトルを掲げたことからもわかるとおり、ここは作家や編集者、出版関係の人たちが集まる、いわゆる文壇バーになっていた。引き戸の向こうは、すぐに狭いL字型のカウンターになっていて、いつ覗いても客がひしめきあっていた。つまり、家に帰りたくないか、帰っても居場所のない男たちのたまり場になっていた。店内は暗く、タバコの煙なのか、人いきれなのか、いつも霞んでいて、かつ騒がしかった。密集、密閉、密接。世が世なら、最もクラスターが発生しやすそうなところとして、忌避されるような場所だった。私は、読売新聞の文芸記者Uに連れてきてもらって、この店のことを知った。それから時々、立ち寄るようになった。私も、家に帰りたくない男のひとりだった。

あるとき、店に入って、先客と先客のあいだに割り込ませてもらって、椅子にお尻をなじませると、隣席の人が名刺を差し出してきた。

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月3回以上は更新する予定です。 公式Twitterにて感想、コメントを書いていただけると嬉しいです。 *後に書籍化されるもの、カットされるものも含まれます。 【写真撮影】阿部雄介 *地図はジオカタログ社製世界地図データRaumkarte(ラウムカルテ)を使用して編集・調製しました。 Portions Copyright (C) 2020 GeoCatalog Inc.

ガラパゴス諸島を探検したダーウィンの航路を忠実にたどる旅をしたい、という私の生涯の夢がついに実現しました。実際に行ってみると、ガラパゴスは…

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