夏になると思い出すこと
毎年、8月8日が近づくと思い出すことがある。小学5年生の夏、11年前のことだ。
あの日は間違いなく木曜日だった。夏休みで、父の職場の企画で弟2人と一緒に職場見学のようなイベントに参加した。行きは父の車で、帰りは電車に乗って帰った。イベント内容は書くと割れてしまうので詳しく書けないが、下の弟がまだ4歳だったのでたいへんかわいがられて、たくさんお菓子をもらったのを憶えている。
帰りの電車は、田舎だから1時間に1本しか出ない。待ち時間がけっこうあり、その間は父が一緒にいてくれた。電車に乗る前に兄弟それぞれアイスを買ってもらったのだが、上の弟がクーリッシュを握りすぎて電車の床に大量にこぼしてしまった。父は、慣れないイベント対応で疲れていたのか、かなりイライラした様子で兄の私にハンカチを渡して「これで拭いて。もうそろそろ時間だから」と言ったまま改札を戻っていった(もちろん鉄道会社のルールに則って)。
楽しかったはずなのに帰るときになってテンションを下げさせてくるなあと、アイスをこぼした弟というよりむしろ大人げない父にがっかりしながらクーリッシュでベトベトのハンカチを持って1時間半ほど電車に揺られた。
うちの最寄り駅には、改札もない無人駅だが、母が車で待っていてくれることになっていた。たしかに母はいたのだが様子が変だ。もしかしたら機嫌の悪い父からアイスをこぼしたことを連絡されて、叱るつもりでいるのかもしれない。
今日はやっぱり良い日じゃないや、私はこぼしていないのに弟と一緒に叱られるんだろうなあ。それより早くこのハンカチを手放したい。
ところが母は、怒っているというよりは疲れているようだった。家に着くと、下の弟を寝室に連れて行って昼寝させる母。弟が眠りについたものと見え、母は寝室から出てくる。深刻な顔のままだ。
私と上の弟が呼ばれ、といっても2人ともリビングにいたのだが、母は正座する。2人の子どもたちも対面に座って母が話し始めるのを待った。
「Kが死んだって。」
Kというのは私たちの友達だ。元はと言えば母の友達の息子であり、私の同級生の弟でもある。家族ぐるみで知り合いで家も近所なので、Kの家に遊びに行ったこともあるし、Kとその兄(私の同級生)が私たちの家に遊びに来たこともある。Kは弟より1年若く、当時は小学1年生だった。
Kの家族はその日、2013年の8月8日は海に遊びに行っていたそうだ。小学生になって初めての海、Kはやんちゃなクソガキだったからきっと親の言うことも聞かずに海に飛び込みたかったことだろう。でも消防士のお父さんに捕まえられて、準備運動させられてからようやく泳げる!そんなことだろう。
Kは海難事故で死んでしまった。
母は私たち兄弟を待ちながら、3人の好きなカレーを作って待っていた。そんなとき、うちに近所のおばさんが飛び込んできたという。私たちが外出しているのを知らない近所のおばさんは「電話だと子供たちに聞かれてしまうかもしれないから」と、家の外で話すつもりで来たようだ。
私は、母方の祖父が物心つく前に亡くなった他は身の回りの人が死ぬという経験をしてこなかった。だから物心ついてから初めて出会う死が、自分より年下の子の死ということになってしまった。
ひどくショックを受けた私は、初めてカレーを残した。そのあと習い事に行った(だから木曜日だと憶えていたのだ)けれど、あまりに元気が無かったものだから、「今日の君は集中力を欠いていて、自分が怪我するはもちろん他の子にまで怪我をさせかねない」として休憩させられた。体を動かしていないとKのことが頭にめぐる……。練習場をふらふら抜け出し、母の迎えが来るまで(他の子のお母さんが心配して見に来るまでだったかもしれない)ただ歩き回っていた。そうでもしないと保てなかった。
結局、私のなかに長く続くトラウマにならなかったのは両親が上手くやったからだと思う。不自然に楽しい場所に連れ回されたりご馳走を食べさせられたりすると逆に気にしてしまう性質なので、それを理解していた両親は精神的に参っている私をある程度放っておいてくれた(他方、祖父母や他の大人はそんなこと知らないので不自然に私に構ってきた。たいへん鬱陶しく思っていたのをこれを書きながら思い出した)。
とはいえ、今の私が人の死に敏感になってしまったキッカケはこの事故にあるだろう。このあと、親戚のおじいさんやお世話になった中学時代の先生など何人かの突然の死を経験したとき、強いショックを受けてきた(今でも赤の他人の訃報でさえ、他の人に比べればダメージを多く受けているらしい)。正確には親戚のおじいさんは老衰だった。しかし死に敏感な私を思って家族が私に隠匿していたため私にとっては元気だと思っていた人がとっくに死んでいるということになり、結果的に死のダメージを高濃度で受け取ることになってしまった。
中学の恩師に大学合格を伝えたくてその死を強く意識した3月、Kの死んだ8月、親戚のおじいさんの死を知った10月など、数か月ごとに死の感覚が私を襲うようになり、以来10年、定期的に精神的に参ってしまってろくに活動できなくなる生活を送ってきた。
もうあれから11年になる。毎年、盆になるとKの墓にも手を合わせてきた。今年は帰れないかもしれない。
まあ、手を合わせなくてもいいだろう。もはやKの顔もよく思い出せなくなっているが、毎年8月が近づくたびに、それと誰かが死ぬたびに彼のことを思い出しているのだ。きっとこれからも、家族や友人を見送るたびにKのことが頭をよぎるのだと思う。人は忘れられたときが第二の死だというから、僕が死ぬまでKは第二の死を迎えない。これ以上の供養があろうか。
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