【先行公開】A・クラインマン『ケアのたましい』プロローグ(試し読み:後編)
◎ポストコロナを私たちはどう生きていくのか:バーバード大学教授アーサー・クラインマンが遺す滋味豊かな物語◎
アーサー・クラインマンはハーバード大学の著名な精神科医、医療人類学者で、「ケア」というテーマの権威である。クラインマンは、妻のジョーンが早期発症型アルツハイマー病との診断を受けた後、自ら妻のケアを始め、ケアという行為が医学の垣根を超えていかに広い範囲に及ぶものかに気づくことになった。本書でクラインマンは、医師としての生活とジョーンとの結婚生活について、深い人間味のある感動的な物話を伝えるとともに、ケアをすることの実践的、感情的、精神的な側面を描いている。そしてまた、われわれの社会が直面している問題点についても、技術の進歩とヘルスケアに関する国民的な議論が経済コストに終始し、もはや患者のケアを重要視していないように思えると述べている。
精神科医・医療人類学者アーサー・クラインマンの最新作『ケアのたましい――夫として、医師としての人間性の涵養』を、8月10日に発売予定です。
発売はまだ少し先ですが、試し読みとして「日本語版への序文」と「プロローグ」を前後編に分けて先行公開します。
今回は後編「プロローグ」です。(前編はこちらからお読みください)
本書はAmazonにて予約販売を開始しておりますので、続きが気になる方はぜひ下記URLからご予約ください。
www.amazon.co.jp/dp/4571240910
*本記事は2021年8月10日に発売される『ケアのたましい』から該当部分を転載したものです。
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●プロローグ
「出て行って! 出て行ってよ!」
妻のジョーンが叫びながら、ベッドにいる見知らぬ人物を激しく叩いている。ひどく動揺し怯えている。「ここから出て行って。出て行ってったら!」
だが、妻の目に映る見知らぬ人物というのは、40年以上ものときをともにしてきた夫であるわたしだ。ジョーンは昼寝からいま目を覚ました。これは2009年夏、マサチューセッツ州ケンブリッジの、ふたりが27年間暮らす我が家の寝室でのことだ。
声を荒げないように、努めてパニックを起こさないようにとこころ掛ける。「夫のアーサーだよ。落ち着いて、僕がついているから大丈夫だよ!」
「違うわ! アーサーなんかじゃない! 偽者よ! いますぐ出て行って!」。そう叫ぶ妻は、まるで罠に掛かった動物のように身体を震わせ、警戒心を顕わにする。
妻を落ち着かせ、間違いなく夫であることを証明しようと、考えつくあらゆる手立てを試みるが、妻はそんなわたしを認めずに、ますます頑固になりイライラを募らせていく。これは夢ではないか、まだ悪い夢から覚めていないだけではないか、そうわたしは思い始める。ジョーンは恐怖に駆られている。妄想に呪縛され、こころの底から恐怖に震えている。こんなことは前にも一度あった。そう、去年、アムステルダムのホテルで。けれどもわたしはいまだに、妻の錯乱に向き合うこころの準備がまったくできていないのである。
ジョーンは判断能力をほぼ失っている。非定型の早期発症型アルツハイマー病で認知症を患っているのだ。この心痛きわまりないエピソードは、カプグラ症候群の典型的徴候である。カプグラ症候群とは、神経変性疾患を患う人にときおり見られる妄想状態をいう。この病気に罹ると、身近な人や物理的空間ですらも非現実で偽ものだと誤認する。ジョーンの場合もそうだが、たいていは一過性で長くは続かない。そのうち何ごともなかったかのようになる。だが、近親者にとっては驚天動地の事態である。何十年もかけて築き上げてきた絆が一瞬にして断たれかねない事態なのである。
わたしは研鑽を積んだ精神科医で、このような事態に対処する方法を知っているはずである。しかし、まさにいま、この事態に直面すると、衝撃にこころ折れる夫でしかない。このエピソードは、最初のときと同じで数時間続いた。そのあいだ、別室に移動して、妻がエネルギーを使い果たし落ち着くまで待たねばならなかった。けれどもわたしは、ケアの担い手でもあるのだ。誰よりもわたしが、ジョーンを第一にケアする者なのである。何度かいつもの会話に誘うけれども拒まれる。しまいに、自分は妻の手伝いをする他人なのだと言い聞かせる。
妻は誰にともなく哀願する。「ねえ、このペテン師を追い出して、ほんとうの主人を見つけてきてよ」。
あとになって妻はこのときのことを一笑に付した。翌日には起こったことすべてを否定したのである。このときまで、ジョーンのケアは8年のときを刻んでいた。わたしは入浴や着替え、誘導のケアをしてきた。食事の世話や世情の解説も徐々に増えていった。ごく普通の、家族をケアする者であるわたしは、国内の常時5千万人以上のうちのひとりであった。けれども、その一方で、わたしは精神科医として医療人類学者として、専門的なケアおよびケアの研究にキャリアを捧げてきた。つまりわたしは、この問題に関して、客観的な専門知識を有すると同時に、ケアをする当事者としてケアの現実にどっぷりと浸かり、実践し学んでいるのである。
こうした経験のひとつひとつから、とくに家族をケアし過ごした過酷な10年間から、ケアに対する理解はたしかに深まっていった。ケアというのは人間の発達のプロセスなのだと気づいたのである。私たちの社会では、男の子は、細かなことを気にしないように、女の子は気遣いができるように育てられる。長じて、少女や女性、若い男性は長い時間をかけて他者のケアを学ぶようになる。ケアすることの意がわかるようになり、最終的にケアができるようになる。女性がケアの担い手になるべきだという社会的プレッシャーや文化的期待はますます高まっているけれども、それは女性に生来ケアの才能があるとか男性よりもケアが楽にできるとかいうことを意味するわけではない。女性もまたケアの担い手として成長するのである。ケアという営みは人間関係の中心にある。ケアすることと受けることは分かち合いのプロセスである。そのなかで、思いやりや承認、実際的支援や情緒的サポート、人間的な絆、揺るぎない意味のやりとりが生まれる。それは、複雑かつ不完全なものである。ケアは行動であり、実践であり、表現である。ときにそれは応答である。さまざまな状況や背景の下で、他者と自己の欲求に絶え間なく応答することでもある。ケアというのは、不安に怯え傷ついている人に寄り添い続けることである。不安や傷つきがそれ以上深くならないように、手を差し伸べ、護り、一歩先んじて考えることである。
ケアはまた、ケアをする側と受ける側の双方が、生命感や存在感といったいのちの現前性を経験することである。ケアという行為は内なるものの現前性と呼ばれる。すなわちケアは、死をもって終わるものではなく、死後、想い出をケアすることにも積極的に与るものなのである。ケアをすることは、恐怖やパニック、自信喪失や絶望のときをともにすることでもあるが、それはまた深い人間的繋がりや誠実さ、思いがけない経験や希望や喜びのときをもともにすることである。そういうことをわたしは学んだ。
さらにわたしが学んだのは、ケアの領域が医学の境界のはるか彼方にまで拡がっている、ということである。ケアはおそらく人間の行為のなかでもっとも遍く見られるものである。もっとも骨が折れ、ときに気持ちが挫ける行為でもあるだろう。そしてまた、この人間存在の根幹に関わる行為をとおして、もっとも豊かに人間性が実感されるのである。額の汗を拭う、汚れたシーツを取り換える、動揺する人を安心させる、臨終のときに愛する人の頬にキスをする。これらケアのもっともささやかなときに、自らのもっとも素晴らしい面が具現化されてくる可能性がある。そこには、ケアする者と受けた者に対する贖罪の気持ちが現れていると言うことができる。ケアは人間の生き方に叡智を授けてくれるものなのである。
ケアは、過酷で、ときに退屈で地味な作業である。しかしそれは、情緒的、人間的意味だけではなく宗教的意味にも共鳴する。ケアの実践から生まれる意味を理解することで、ケアし続けることも、多くの試練に耐えることも可能になるかも知れない。さらには、人生途上に出会う他の課題に向き合えるほどにまで強くなれるかも知れない。また、そうした課題は増え続けている。家族や医療者のなかで、病院や高齢者介護施設のなかで、広くは社会のなかで、高い技術をもつケアが脅かされている、そういう危険な時代に私たちは生きている。このようにわたしは思っている。今日、無慈悲、憎悪、暴力、そして不信感が政治を煽る只中にあって、反福祉の風潮が優勢となり、福祉は財源にも組み入れられず弱体化している。ケアは優しくて感傷的なものだと不当に理解されている。ケアは優しいものでも感傷的なものでもない。家族やコミュニティそして社会を結びつける人間による接着剤がケアなのである。ケアはまた別の物語をも提供する。すなわち、いかに生きるべきなのか、自分は何者なのかという物語である。けれども現実では、ケアは沈黙を強いられ価値を貶められている。国内でも世界中でも、経済と効率性の犠牲にされている。家族の要求は増え続け、医療者を目指す人の数は減っている。そうして、医療の意義が奪われようとしている。人間存在の根幹にある苦悩や癒やしの経験、そこから生まれる人間味ある言語が抑圧されている。最悪の場合、それは失われてしまうだろう。
いまこそ、制度に対する自分たちの思い込みを疑い、「ヘルスケア議論」の根拠に対して異議を唱えるために、厄介な諸問題を自分自身に提起する覚悟が必要なのである。行動を起こすときがきている。本書は、ケアをすることについてのわたしの告白であり、ケアがもっともかけがえのないものであるという証左である。
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*2021年7月6日修正:本記事公開当初の7月28日だった発売日を8月10日に変更いたしました。本書を楽しみにしてくださっている皆様に心よりお詫び申し上げます。
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