人間の可能性
これは、歌の歌詞である。
歌を書いた彼は、生後9ヶ月時の高熱の後遺症で脳性麻痺になった。
何とか、命は助かったものの重い障害が残った。
当然、周りの大人は絶望し、もう彼とは会話はできない自分で生活することすら難しいと思っていた。
だから、彼は、10年以上も毎日毎日ベットで天井を見て過ごしていた。
そんな時、重度障害の言葉の可能性を研究している大学の教授に出会う。この教授は、遷延性意識障害の人達も「言葉を持っているのではないか、意志があるのではないか」と信じ実践を積み重ねている。
そして、教授との出会いで彼は10年以上も閉ざされていた扉が開き、様々な教材で遊びながら意思の疎通ができるようになった。
つまり、彼らは、言葉や意志がないのではなく「気持ちを表現する方法を知らなかった」だけ。
逆に言えば、表現する方法を教える人が居なかった。一番信じてあげるべき周囲の大人が彼の可能性を信じていない。とは言え、まさかこのような状態で言葉があるなんて思えないだろう。
想像できるだろうか、言葉や気持ちがあるのに体が動かないから10年以上もベットで天井を見て過ごしている自分を…
彼はたくさんの想いを歌や詩にし、表彰されている。同年代の人達より心に秘めた熱い想いがあると感じる。
彼は、彼の中で眠っていた素敵な言葉をストレートに文字にし相手に伝えているのだ。
それを踏まえ、もう一度歌詞を読んで欲しい。
改めて、人との出会いは大切だ。
そして、子どもたち可能性を潰したくない。