見出し画像

気持ちは分かる3(自転車について)

自転車が好きだ。
初めて自転車に乗れた日の事は鮮明に覚えている。
父が後ろで支えた状態で漕ぎ出し、安定したらいつの間にか父の支え無しに乗れている。
そう、よくある光景。
真っすぐ走る、風を感じる、どこまでも行ける。
ふと、背後から「おーい、戻ってこーい!」と父の声が聞こえる。
そうだ、どこまでも。は許されない。
そのままUターンして父を目指す。
スピードを緩めず、父へ真っすぐ。
父までの距離は残り僅か。
父は「ブレーキ!ブレーキ!」と叫びながら両手を広げていた。
このままだと父に激突する!と思った時、咄嗟に転んで回避した。
近くに居た母は悲鳴を上げていた。兄は「止まり方、知らないのかよ」と言っていた。父だけ笑っていた。
転ばなくても父は受け止めてくれたろう。転んで痛かったけど泣かなかった。
その日、自転車の爽快感、本能でのUターン、転んだ痛みを同時に知った。
とても幸せだった。
そんな思い出があるからか自転車が好きだ。
しかし、大人になって免許を取得してからは、
移動はオートバイになり、車になった。

立場が変わると見方も変わる。
先日「ひょっこり男が逮捕」のニュースを見た。
自転車で危険運転を繰り返す映像を見て愕然とした。
これは駄目だ。
もし、私が車の運転中に遭遇したら、肝を冷やし、そして怒るだろう。
しかし、自転車を走行中にギリギリの距離で過ぎ去った車に腹が立った、
という動機が取り調べの供述で分かった。
気持ちは分かる。
私も自転車走行中に何度もある。
車道に剥きだしの自転車専用エリアを走行中でも恐い。
おまけに路駐なんてされていたら、なおのこと恐い。
何とかしろよ!と、怒りの対象がどこにかも分からず何度も毒づく。
だから、やむなく歩道を走る。
そしたら歩行者が迷惑する。
どうどう巡りですわ。
自転車の交通違反が後を絶たないため、道路交通法の改正案が閣議決定されたが、
その前に自転車が安心して走れる道を整備する方が先なのではないのか?
と強く思う。
自動車のドライバーの思い上がりも問題なのだから。

あれ?
何だか自転車運転側の立場で物をいう自分がいる。
何故なら先ほど、車に煽られたからだ。
動機に少し気持ちは分かったが、ひょっこり男の行為は決して許されるものでは無い。
しかし、車のドライバーのモラルも問題だよ。
解決方法は相手への「思いやり」つまり「慮る」しか無いのだろうか。
そんな事を考えなければならない世の中って情けないよね。
週末。
明日明後日とサイクリングに出掛ける人、ドライブに出掛ける人、買い物に出掛ける人、みんなひっくるめて、ご安全に。
良い休日をお過ごしください。それでは、また。

公園で見た自転車、のようなもの

いいなと思ったら応援しよう!