心の処方箋について(『自分の感受性くらい』)
もうかなりの月日が経つが、
かつて商店街活性化のプランニングを任された事がある。
さぁプレゼン、という直前に商店街の平の組合員数人が、そんな若造で、しかもよそ者の意見なんて鼻から聞きたくない!とゴネ始めた。
そりゃそうだ。と自分でも思った。
現に若造だったし、よそ者だったし。
でもこちらは仕事だし、正式にオファがあって企画も練って来ているわけで。
思わずオリエン時の出席者と組合長に視線を向けた。
すると組合長は、今まで我々だけで色々やったが駄目だったと、こういう時に外部の意見が必要なんだと言い、活性化の為の「若者、よそ者、バカ者」の論理を力説した。
今でこそよく聞く論理だが、その時は初めて聞いたので妙に感動した記憶がある。
しかし、この論理を組合長は履き違えていたなぁ、と今あらためて思う。
ただ私は全組合員から
若者
よそ者
そしてバカ者のレッテルを貼られた瞬間であった。
バカ者って。
当時は小さなプライドが傷ついて、その夜はひとり赤ちょうちんで酒を煽った。
翌日、入社当初から私を気に掛けてくれていた先輩にランチに誘われ、その話をしたら「いやお前はバカ者だよ」と笑っていた。
その夜である。
残業していたら先輩が一冊の本を持ってきてプレゼントしてくれた。
付箋が貼ってあるところ、今後きっと役立つよ、そして言いそびれていたけど俺会社を辞めるんだ、と言った。
付箋の貼ってあるページには詩があった。
茨城のり子
『自分の感受性くらい』
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
私は心が弱った時、いつもこの詩を読み返す。
人は病気になると薬を服用する。
心の病は厄介だから、その前に薬が必要だ。
この茨城のり子さんの詩は私にとって処方箋になった。
折しも一昨日の12日は、茨城のり子さんの生まれた日とTwitterが教えてくれた。
それと同時に、この詩を私に授けた翌年に亡くなった先輩の顔が浮かんだ。
先輩、ありがとう。
何度もありがとうと言ったけど、この詩のおかげで心の病にならず今も私は生きています。
まだ「ばかもの」として。