初めての熊野一人旅(最終日)
那智の滝と、飛瀧神社の早朝参拝に行くために早起きをしました。
この日の事は、いろいろ時系列自体の記憶が曖昧になっていて、
朝、何時に出発したのかも、覚えておりません。
それでも、早朝参拝の後、宿に戻ってきて、
「日の出☀️に間に合った!」とその写真が残っています。
今、その日の和歌山県の【日の出時刻】を検索してみると、AM5:44となっていまして、
現地、那智の滝では、すっかり明るかったように記憶しているのですが、
AM5:44までに宿に帰って来ているなんて、何時に出発したんだろう?
『休暇村 南紀勝浦』から『那智の滝』までの所要時間は、朝の車の少ない時間だったら、20分ぐらいの感覚だった気がします。
日中の時間帯だったら30分ぐらいでしょうか。
それで何はともあれ、出発して、
町を走り、
だんだん登り坂になってくると、時々、滝が見え隠れし、
遠巻からでも、凄い存在感でした。
これは、元々の『那智の滝』の存在感に加えて、台風直後というタイミングも十分あったと思います。
山を上がっていく道路は、普通に整備されていて、問題なく快適でした。
が、その日は、途中、道端のどこからか水があふれ出ているのか、
結構な水の流れが、アスファルトの道路を斜めに横切って、低い方に流れていく光景がありました。
走っていると、車のタイヤは、その流れの上を通って横切っていくわけです。
ちょろちょろの水ではないので、凄いなぁ、と思いました。
飛瀧神社の鳥居の所に着きましたが、
どこに車を置いたのかも、さっぱり覚えていません。
検索すると、24時間の駐車場もあるようですし、
今はわかりませんが、婆が行った時は、無料の駐車場もあったように思います。
鳥居を入って、参道を直進し、
直進と言っても、階段の連続です。
大まかに、行きは下り、帰りは上り、だったと思います。
参拝は、ある意味修行ですね。
歩いていて、滝が前方についに見える地点に来ると、
感動で気が引き締まり、一気に心身が浄化される気持ちになります。
思わずフーッと大きく深呼吸をしたくなり、実際したと思います。
那智の滝そのものが、ご神体であられるとのこと。
那智の滝と飛瀧神社のことも、有難過ぎて、上手く書けません。
できることなら、実際に行かれて、ぜひ見ていただきたいと思います。
ただ、この時の水量は凄く、
滝の幅も大きいし、音も大きいし、
滝の前の、手を合わせる鳥居のところまで、水しぶきが飛んできました。
滝の一番上の、水が落ちる瞬間のところは、上部、前部に水がかなり大きく盛り上がって、まさに漢字で言ったら『爆』 のイメージで、せき出されるように落ちていました。
前日の天候だけでなく、季節によっても水量が違うそうです。
それで、その勢いのある滝の流れをじっと見つめていると、目の感覚の関係で、
左右の崖の面が動くように見えました。
これは、昭和の時代に子供だった方は覚えているかもしれませんが、
お天気の良い日に、
片足を前に軽く上げて、肩の高さまで両手を上げて横にのばし、
やじろべえ(←バランスをとるオモチャ)のような自分の影を
しばらくの時間じーっと見つめて、とあるタイミングで、目からフワッとちからを抜き、ふわっとした感じで前方に視線を持っていくと、
自分のその影が、前方にビューーーンと限りなく伸びていくのが見える錯覚。
その錯覚を、面白がって見る遊びが流行りました。
婆もやって、数回見えました。
(こちらは、やったことはないのですが、『影送り』というのに、ちょっと似ている?感じなのかもしれません。)
これを書いていたら、テレビのCMで、ジロベーだったか?チョコベー?だったか、そういうCMを思い出しました。
滝が神々しいので、ありがたくて、流れをじっと見つめていると、
上記と同じように、横の、片方の崖の面が、上下に動く?伸びる?ように見えるのです。
那智の滝の神様のことを書いているのに、目の錯覚の事をこんな字数、書いているのは、いけませんでした💦
🙏
もっと滝の近くに行ける、高い位置にある御瀧拝所もあり、
参入料は300円です。
こちらは、婆は今後、もし何回うかがったとしても、必ず入らせていただくと思います。
ただ、この早朝参拝の時間は、まだ入ることができず、
朝8時前後から、入ることが出来るとのことでした。
清々しい気持ちになって帰途に着き、
車の窓を開けて、台風一過の爽やかな風を車内に取り込みながら、
帰路のドライブの心地よさも満喫しました。
その帰途の途中、もしかしたら日の出の時間に間に合うのでは?
という可能性に気づき、急いだ運転をしてしまい、運転に集中しました。
宿に着くと、海が見えるテラスのデッキには、すでに何組かの宿泊者の方々が、ベストショットの位置で今か今かと待機されており、
婆も、お陰様で、熊野にて初めての【日の出】も目に焼き付けることが出来ました。
その後、朝食までには時間もあったので、昨日入れなかった露天風呂に浸かりに行きました。
朝のお風呂は、婆を入れて2,3人。
外のお風呂は、台風直後の朝ということで、笹のような小さな木の葉がたくさん浮いていて、底には若干、砂があり、所々足裏でザラッとしました。
これはやむを得ない事ですし、これはこれで野天風呂っぽく、風情があって面白い体験です。
お風呂から望む海は、鏡面のごとく全く静かで、
大海原と朝風呂、何と清々しー!
はぁー生き返るー・・・、と思いながら、
ここまで、すべてがタイミング良く、いろいろな善きものを見ることができたのは、
熊野の神々様のお陰様に違いないと、感謝しながら、お湯に浸かっておりました。
さて、バイキングの朝食を済まして、朝の珈琲をいただいて、
最終日、出発です。
あ、その前に、宿のお土産コーナーで、婆の地元の熊野神社の神様に、
熊野地方のワンカップサイズのお酒のお土産を買いました。
出発前にいろいろお世話になったので、
お礼参りに伺って、差し上げたいと思いました。
その後、一番最初に向かったのは、
昨日、天候の為に行けなかった、神倉神社です。
神倉神社には、階段を上りきった高い所に『ゴトビキ岩』と呼ばれる大きな岩があり、その岩がご神体であられます。
熊野の神々様が、一番最初に、地上に降臨された地であるとのことです。
それで、駐車場に車を置いて、てくてく階段の始まる鳥居のところへ歩いて行き、鳥居の外から階段を見上げて、呆然となりました。
しばらく無言で、一人、階段を見上げておりました。
「ど、どうしよう・・・。」
これは、脚色でも、大袈裟でもありません。
婆は高所恐怖症の気があるのです。
高所恐怖症でない人でも、絶対、一瞬怯むと思います。
山岳の関係の趣味のある方は平気かもしれません。
山肌の急斜面と同角度の石段が、途中の踊り場なく、ドーンと目の前に存在していました。
・・・・・、
でも・・・、せっかく遠路遙々来たのだから、何とか行かなくちゃ・・・💦
いったん駐車場に戻って、傘を持ち出しました。
良いお天気で、雨の為ではなく、杖の代わりにするつもりです。
貸し出し用の長い杖が、現地に置いてありましたが、長すぎて心配で、
自分で買ったコンビニの傘にしました。
(が、後でこれが仇になりました。)
意を決して、よいしょ、よいしょ、と一歩一歩、注意深く慎重に石段の石を選んで登っていきます。
これは、高所恐怖症というだけでなく、1つの段の高さも高く、石の形も不揃い不規則で傾いたりもしていて、日頃の運動不足もたたりました。
小学生とかだったら、むしろ余裕かもしれません。
婆も、小学生の時だったらトットコと🏃上がれたかもしれません。
それで、一番まずかったのは、途中で下を見てしまったことです。
有難くもここまで読んでいただいた皆様にご忠告させていただきますが、
参拝の機会がもしあったら、山岳系の方ではない普通の一般の方々は、途中で絶対に下を見ない方がいいと思います。
でも、これを読んだら、むしろきっと見てしまうでしょう。
見るなと言われたら、見たくなるものですもの。
振り返って、例えば初詣の時のように人がいっぱいいたら、視線も分散され、気持ちも心強く持てたかもしれませんが、その時は誰もいなかったか疎らで、視界がもろに自分が現在いる高さと、急角度の石段の面のみに凝縮されました。
婆は、そこで目がくらみ、足が竦んでしまいました。
恐怖で前にも後ろにも進めなくなり、にっちもさっちも行かなくなりました。
しかも婆は、たった一人です。
誰もどうしてもくれません。
助けを求めれば何とかしてくれるかもしれませんが、
本格的な登山道でもない、参道の石段なのに、知り合いでもない他人の方に、そんなことをお願いするなんて恥ずかしくて出来ません。
しばらく途中でじっと立ち止まったまま、下を見ないで心を落ち着かせ、
皆な無事に上がって下りているんだから大丈夫、と自分に言い聞かせ、
ここまで来たのだから、下より、上に登ることを選び、
再び「よしっ!」と心を決めて、上だけをしっかり見て、ゆっくり登っていきました。
結構、はたから見れば無様なへっぴり腰だったと思います。
何人かの人が追い越して行きました。
それで、この時ほど、普段何気なく上っている階段の、『踊り場』の有り難さ、役割、人の知恵、配慮に気付かされたことはありませんでした。
今まで気にもかけず、当たり前だと思っていた事は、当たり前でも何でもなかったんだと、『踊り場』を考えた人、造った人のことを思いました。
そうこうしながら、目の前の石段だけに全集中し、人の倍の時間をかけながらも、何とか登りきりました。
晴れてゴトビキ岩を目にする事ができ、お社で参拝をして、
そこから見える景色を見ました。
お天気が良くて良かったー☀️
ゴトビキ岩の存在は凄いです。
最強パワースポットと呼ばれるのも、良くわかる!としみじみ思いました。
🎵・・・、
てっぺんは幸せな一時でしたが、
帰りのことを考える時がきました。
階段以外にも、山道もあるということで、
下りの階段は、否応なしに下を見なければならないし、
坂道の方が良いだろうと判断して、下りはそちらを選びました。
が、判断甘く、台風後の山道なので、まだ土が濡れて、行ってみると、ぐちゃぐちゃ泥だらけでした。
最初っから、ぐちゃぐちゃが見えていたら避けていたかもしれませんが、最初のうちは案外見た目、平気だったので行ってみましたが、後になって現実がわかっていき、すでに引き返せませんでした。
( 引き返す "登り道" も、危ない💦)
今にもズルッと滑りそうな感じで、
実際、一回滑って派手に転びました。
周りに誰もいなかったので、誰にも見られず良かったです。
落ち葉などのお陰なのか、そんなに洋服も汚れなかったように思います。
(着替えた記憶がないので、おそらく…)
傘は、この下り道で、手が空かずバランスを取れず邪魔になり、
それでも置いていくわけにはいかないので、頑張って持ち続けました。
(下りは長い杖だったら良かったのか?わかりません)
下りの山道も甘くはなかったことがわかり、
途中こちらでも、最後まで降りられるのかと絶望的な気持ちになり、弱音満杯で泣きたくなりました。(ほんとに)
それでずっと、神様に無事をお願いしながら下りました。
神倉神社では、お祭の際、大勢の人達が、松明を持って、こちらの階段を駆け下りる行事があるということですが、
信じられない・・・、と思いました。
しかも、自分だけ、という訳にはいかない、一人がこけたら皆にも影響が出るし、
その行事に参加する方々は、日頃から訓練をしているのでしょうか。
訓練をしているとしたら、どこでどんな訓練をしているのでしょうか?
一度、聞いてみたいものです。
最後まで無事に何とか下りきり、
何でも、選択肢ない中に覚悟を決めてやってみれば出来るものだ、と思いました。
今後、また熊野に来ることができましたら、
やっぱり、神倉神社の階段を上り、参拝したいと思います。
(帰りの下りは石段を選ぼうと思います)
その後は、今朝早朝参拝した那智の滝、飛瀧神社へ再びうかがい、
先ほど入れなかった御瀧拝所に行きました。
この地は、同じ日に、この同じ場所へ、もう一度行っても全然OKと自分的に思いました。
こちらの御瀧拝所の方が、より滝に近く、しぶきもたくさん浴びられました。
それで、婆は勘違いをしていて、
ほぼ同じエリアに鎮座する飛瀧神社と熊野那智大社の神様は、滝の神様で同じ神様だと思い違いをしていて、
今思うと、この時は、熊野那智大社の方のお社は参拝していなかったかもしれないと思いました。
その後、2回熊野に行った時は、熊野那智大社を参拝させていただきましたので、その記事の時にまた書きたいと思います。
聖地参拝はここまで。
ここからは、海沿いをドライブしながら、
和歌山県の海の景勝地を、観光地として回ります。
鯨で有名な太地町の道の駅みたいなお店で、紙コップ入りの鯨の竜田揚げを買い、食べました。
婆が小学校の時の給食には、よく鯨の竜田揚げが出ていたので、
懐かしかったです。
帰りの飛行機は南紀白浜空港で、
距離は、このあたりからは、どこからでもすぐなので、しかも夕方の羽田行き最終便で、時間にはかなり余裕がありました。
渋滞がなく予定通りにすぐ着ける、というのは有難いです。
途中、立ち寄ったところに、そこはお寺ではないのですが仏像があり、近年、人工的に作られた?のかどうかわかりませんが、仏像ということで、手を合わせてみたら、
あれ?ちょっと何か違うと感じました。
この数日、毎日毎日、ずっと熊野の神々様を訪れてきて、
その気を、必然的に、無意識に、感じ続け、触れ続け、包まり続け、
また、環境的にも大自然のなかに過ごして、
神様と仏様の違いというのではなく、
何かが違う、とわかり感じました。
本物、などという、人間の言葉を使うことは、おこがましくて憚られ、
それに代わる表現をさがすとしたならば、どれも人間の概念で、やはりおこがましくて言えませんが、
婆は熊野の神々様の気が好きだし、
何か畏敬を感じる存在を訪れることが出来、実際に感じることが出来、
自分も、すこしでもその気に近づきたい、というか、
それが、人間の言葉で『真・善・美』という概念と言うものなのかどうかわかりませんが、もし、その様だとしたら、出来るだけそれに近くありたい(←実際はぜんぜんまだ無理💦)と思いました。
その後のことは、あまり記憶にありません。
南紀白浜空港の出発ロビーで、こちらのコンビニで初日に買ったビニール傘を、荷物と共に持ちながら、一人待っていたシーンは覚えているのですが、
飛行機に乗っていたときも、羽田空港に着いたであろうことも、
リムジンバスが出ているところに行ってバスに乗ったであろうことも、
そして、地元に近いバスのターミナルに着いて、きっと主人が車で迎えに来ていたかもしれないことも、その後、夜ご飯をどうしたのかも、
まったく覚えておりません。
そうとう疲れていたのかもしれません。
それでも、体の疲れとは裏腹に、きっと心は、旅の前より元気だったんじゃないかと、今にして推測しています。