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図書館の電子化はなぜ進まないのか?

「もうすぐ紙の本は滅びる、これからは図書館も電子の時代!」みたいなことは、思えば何十年も前から言われていた気がします。

何十年も経った今、「そうはなってないな」というのが正直な感想です。
たしかにコロナ禍を機に、私の勤め先でも来館せずに使えるサービスを増やそうという動きはありました。実際に電子書籍・電子ジャーナルも拡充していますし、利用者向けの電子資料活用講習会にも力を入れています。

ただ、図書館業界全体としては電子化が急速に進んでいるとは言えず、紙の本に取って代わるにはほど遠いです。

それは単に、お役所仕事で頭が固いとか、年寄りでアナログ世代だから、というわけではなく、やればやるほど電子ならではのデメリットも見えてきているからだと思います。


電子資料のデメリットとは

選択肢が限られている

電子で発行されている本がなんでも図書館資料として受入できるわけではありません。
選書担当者がkindle版とかの購入ボタンをポチっとして、そのまま図書館に所蔵できれば便利ですが、そうはいかないのですね。
基本的に、図書館に入れられるのは「図書館向けに著作権処理されたプラットフォームに追加できるタイトル」だけなのです。

実際にそうしたプラットフォームで新着タイトル一覧などをを見ていると、「うーん…どうも魅力に欠ける…」と私などは思ってしまいます。
その理由は、発行年がたとえば2018年とか、微妙な古さなのです。
最新情報というほどでもなく、かと言って古過ぎて逆に貴重とか、紙版が絶版で入手困難、というわけでもなく。
家電で言う「型落ち」感がぬぐえず、版元としては紙版の売上が落ちてきたところで、図書館向けの電子版を出すことで利益を確保する意図なのかもしれません。
たしかに利用者がもっとも喜びそうな、現在連載中の人気漫画の最新巻とか、最新ベストセラーとかを図書館が電子で購入してバンバン貸していたら、激しく営業妨害でしょうし、版元が許諾しないのも無理はないです。

もちろん、発行が数年前でも良い本はたくさんあります。
ただ、良い本であればあるほどすでに紙版を購入していることが多く、紙と電子で重複して持つことになり、だからと言って安易に紙版を捨てるわけにもいかず、結局書架スペースの節約にならない、というジレンマもあります。

利用者さんは「電子書籍が最新情報だろう」と思ってしまうので、わざわざ「最新版は紙でしか所蔵がないので…」とご案内しなければならないのは、何か矛盾を感じます。

高い

たとえば参考図書のデータベースみたいなレファレンスツールは、置き場所の面でも検索性の面でも電子で入れるメリットは大きいのですが、紙版が8万円くらいのものが電子だと30万円くらいして「この価格じゃ無理…」と選書担当者が断念しているのを何度か見ました。

一方で、今の世の中、ネット上で誰でも無料で利用できる便利なデータベースはたくさんあります。

国立国会図書館デジタルコレクション とか。

CiNii Research とか。

青空文庫 とか。

総務省統計局 のデータベースとか。

Europeana とか。

さらに学術論文の分野でもオープンアクセス化、つまりネット上で誰でも読めるようにしようという傾向が進んでおり、そうなると高いお金を払って有料のデータベースや電子ジャーナルを契約するより、人件費に予算を使ってそうしたツールを使いこなせる司書を雇い、利用者に案内できるようにしたほうが安上がりではないか、という見方もあります。

最近では、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)が、大手学術出版社エルゼビア社との契約を打ち切った、というニュース記事が出ていました。

その結果困ったかというと、ぜんぜん困らなかった、とのことです。
もちろんすべてがオープンアクセスになっているわけではないのですが、必要な場合だけ個別にお金を払っても、エルゼビアとの契約金よりずっと安くつく、ということのようですね。

自由度が低い

紙の本のいいところは「買ってしまえばこっちのもの」であるところです。

電子はそうではありません。
購入しても「データにアクセスする権利」が手に入るだけで、言ってみればそれをさらに利用者へ又貸ししているわけで、あれこれと制限があります。ある意味「提供業者に生殺与奪の権利を握られている」とも言えます。

たとえばこんなことです。

・電子ジャーナルの場合、購読をやめると過去のバックナンバーも読めなくなることがある。これは紙の雑誌ではあり得ないことです。
・不正アクセス(システマティックダウンロードとか)があったとみなされると、その図書館全体への提供が丸ごとストップされる(もちろん不正はいけませんが、紙なら関係ない利用者まで影響を被ることはありません)。
・システムメンテナンスや、業者側に起因する技術的な不具合によってアクセスできなくなることがある。
・同時アクセス数に制限があり「誰かが読んでいるので他の人が読めない」という何のための電子だかわからない状況が起こる。それを避けるためには契約で同時アクセス数を増やす必要があるが、そうすると価格も上がる。
・ほかにもいろいろと制限があり、たとえばサービス対象外の人(よその自治体の住民や他大学の学生など)が紹介状を持って来館した場合利用を認めるかとか、自宅からのアクセスが可能かとか、プリントアウトはできるのかとか、いちいち契約条件を確認しなければなりません。全般に紙資料と比べて、提供条件は厳しくなる傾向があります。

ここまでがんじがらめになっていると、図書館の「資料収集の自由」「資料提供の自由」という観点からは不安を感じます。

「自炊」の場合

いわゆる「自炊」のように、図書館が所蔵する紙資料を自前でデジタル化するならその点はクリアできますが、予算や労力、ノウハウを考えると国立国会図書館や大規模な大学図書館でないと難しそうです。
また著作権上、資料保存のために図書館が所蔵資料をデジタル化するのは自由にできるのですが、それをネット上で利用者に公開すると「公衆送信権」というやつに引っかかるので、デジタル化できるのは著作権切れの古い資料か、権利者に許諾を取ったものに限られ、その確認作業も大変です。

保存性の不安

紙の本とは、情報を保存するための人類の英知の結晶です。
数千年に渡る経験の蓄積で「この材質でこの条件で保存しておけば、千年後でも読める」ことが実証されているわけですね。

一方、電子には何の保証もありません。
デジタルデータといっても空中に浮遊しているわけではなく、ハードディスクなりの物理的な媒体に保存する必要があるわけですが、パソコンのデータが一瞬で消えた経験をお持ちの方なら、これがいかに頼りないものかわかるはずです。
CD-ROMなどの媒体も、当初は「半永久的」という触れ込みでしたが、すでに劣化して再生できないものが出てきています。あとは規格違いとかですね。Windowsのバージョンが違って再生できなかったことがあります。

資料保全のためには「耐久性の高いハードディスクなどに保存した上で、それが劣化する前(数十年ごと)に新しいメディアに移し替える」作業が必要になりますが、そんなことが永続的にできる機関がどれほどあるでしょうか。

ましてサービス提供業者が経営破綻して夜逃げしたらどうなるのか、などということは「怖いから考えたくない」というのが本音ではないでしょうか。

まとめ

管理する上の人からすると「貸出・返却も自動で処理できて督促もいらず、配架や修理の手間もなく、人件費削減できるし、保管スペースも取らないし、先進的アピールできるし、いいじゃないか電子!」と思うようです。
(ネット上で「うちの自治体の図書館は電子化でこんなに便利に!」と絶賛する記事を書いている人がいて、肩書を見ると「デジタル推進室」の人だった、ということもありました…)

現場の人間としては「そうは言ってもなあ」という感じです。
私の勤め先でも、そこまで電子資料の利用が伸びているわけではありません。周知不足なのかもしれませんが、利用者がすごく電子を求めている、という実感もありません。
若い人は電子がいいというわけでもないようです。その理由としては、たぶん電子書籍の多くは紙の本を電子化しただけなので、紙の辞書を使い慣れない人は電子版の辞典類も使いにくいようなもので、それくらいなら使い慣れている普通のネット検索やSNSで調べものや情報収集をしてしまうのでしょう。電子資料も紙の本と同様、読みこなすには訓練が必要なのです。

デメリットばかり書いてきましたが、もちろん電子資料には便利な面もたくさんあります。
コロナ禍では来館しなくても利用できるサービスは本当に助かりましたし、重い本を持ち歩かなくて済むことや、検索性の高さなど、電子ならではのメリットは私も日々実感しています。

たぶん多くの技術と同様、電子資料もそれさえあればすべてバラ色、という夢の技術ではないのでしょう。
消耗品と割り切ってメリットの多い分野を電子に切り替えて行くぶんにはいいのではないでしょうか。

紙の本は滅び、すべて電子図書館になる、というようなことにはたぶんならないし、望ましいことでもないと私は思っています。


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