住むように暮らすように旅した、私の「タイとベトナム49日間・7週間の旅」
暮らすように旅することがテーマの、なるべく安く、なるべく長く、なるべく楽しくの、自由なバックパッカー旅。
半分観光で半分暮らす、街歩きが中心みたいなもの。一つの街に一週間くらいいたい。
半分暮らすように旅するから、食べるものもそんなに豪華なものではなくていい。日本で言えば町中華みたいな食堂です。野菜と果物は市場で調達する。泊まるところも、ドミトリーはさすがにもうきついからシャワー・トイレ付きの個室部屋で、テラスがあったらなおいい。
移動も基本は電車やバスなどの公共交通機関で。
ざっくり事前に持ったラフなルートプランは、次のような感じです。
タイのバンコクから入って1週間から10日間じっくり 歩き回った上で、近場のアユタヤにも出かけたい。行ったことのなかったチェンマイには絶対に足を伸ばす。知り合いのいる パタヤの浜辺でリゾートライフ もしたい。
タイではビザがなくても 最大30日間はいられるから、30日間をリミットに滞在した上でベトナムに渡る。
ベトナムでは以前ハノイとホーチミンだけ訪れたことがあるので、中部の都市のフエ・ホイアンに是非とも行ってみたい。
バンコクと日本を行き来している 知り合いがいて、彼とはバンコクで会いましょうねと話していたし、 ハノイでは旧市街 でじっくり過ごしたことがないので帰国前に寄って、そこにいらっしゃる 知人にも現地で会ってみたい。
こんな感じでした。
実際には、どんなだったかをさらっと話しますね。
まずタイはバンコクからスタート。
1週間分のバンコクでの宿を予約していきました。前半 3泊は バスタブのないシャワーのみの個室部屋として、 後半3泊は バスタブ付きの部屋とする。
それ以降はフリー、他所へ移動するか別の宿を取るかはその時々で自由に決める。
結局、その後はアユタヤに約一週間、そこからチェンマイに行こうかとも思いましたが、その前にスコータイに寄りました。
チェンマイに行って一週間のんびり過ごした後、夜行列車でバンコクに戻ってそのままパタヤへ直行して知人にも会い、浜辺で何もしないことが仕事⁉を満喫。
再びバンコクに戻ってちょうど30日間タイに滞在した後、ベトナム中部の都市フエに移動しました。
ベトナムではフエの後、古都ホイアンで沈没してしまい、11連泊。ハノイの民泊サイト利用では散々な目に遭ったけど、駐在している知人家族との貴重な会話と、旧市街の落ち着いた佇まいに癒されました。
こんな49日間でしたけれども、今総じて振り返ってみて一番良かったところは、 チェンマイの旧市街、ホイアンの旧市街、ハノイの旧市街でした。
その街全体が落ち着いた雰囲気のある佇まいを持っていて、心を和ませてくれる、その街に留まっていたいなと感じさせてくれました。
そもそも私がずっとやりたかったことは、1つの都市や街に1週間ぐらいは 暮らすように滞在して旅してみる、でしたのでそれが実現できました。そうすると色々と見えてくるものがあるんです。
1つ 例を挙げるとバンコクで感じたことをストーリーだてますね。
日本で事前に見た バンコクのガイドブックは お寺の案内はわずかで、まるで大阪や福岡のガイドブックみたいに、お店などの紹介であふれていました。 想像はしていたものの以前訪ねて来た頃といってもだいぶたっているのですが、その頃と違って大きな高層階のビルがたくさん並ぶ大都会に変身していました。
とはいえまずは 基本のお寺巡りからスタート。 今は 高速鉄道や地下鉄も発達していて、バスだけで移動していた大昔とはやはり大違い。 ただし道路の渋滞は今も一緒。グラブタクシー など アプリで呼べる 車のタクシーやバイクタクシーも 発達していて便利そう。 でもタクシーを使ってショートカットしてしまうと、今回の旅の趣旨「暮らすように滞在して旅する」とは少し離れてしまうので、お寺などの観光スポットへの行き来は、東京で普通に生活するのと同じように公共交通機関のみを使いました。
それでこそ気付けたことがあります。タイ人は常に余裕の心を持っている。
タイ人はとかく時間にルーズだと言われています。 それって合っているのだろう けれども、ある 意味違っていたり。
驚きの事実はこうです。 高速鉄道だとか 地下鉄だとか、ホームに向かう エスカレーターでは片方 右側に立って、 追い抜かれるように左側を開けておきます。 日本ではその空いている側を、私もそうですが間に合いそうならあるいは少しでも早く到着しようと、歩いて登ったりあるいは、駆け上がったり駆け下りたりします。
ところが見ているとこうです。 電車が入ってきた音が聞こえます。エスカレーターの前方の方に見えるお客さん、ホームに入ってきた電車に乗るためにあと7歩だけ 駆け込めば乗れます。でも駆け込まないんです。私はずっと下で間に合いそうもないのでハナから諦めていましたが、ホームにたどり着いたところ その人は まだ立っていて 数分後の電車を待っているのです。要は 駆け込むのが恥ずかしいのかハシタナイのかどうか分かりませんが、とにかく駆け込まないんです。
注意して見ていると 地下鉄に降りて行くエスカレーターでも、少しでも急ごうと空いている左側を歩いて下りる人は1人も見かけませんでした。とかく 私は少しでも急げば一つ前の電車に乗れるかもと思いがちなんですけれども、タイ人は決してそんなことは考えないみたいです。本当にそうかなと思ったので、バンコクと東京を行き来している知人に会った時に聞いてみました。やはりそうだよと言っていました。 タイ人と日本人のどっちが幸福なのかなと、ふと考えてしまいました。 バンコクでの出だしから驚くことを実感できました。
そんなこんなで自由気ままに楽しみながら旅を組み立てていると、バンコクでの民泊サービスでプール付きタワマンに泊まったり、ひょんなきっかけで出会ったドイツ人の若い女性と半日デートもできました。(*1)
ベトナムに移動してからは、古都ホイアンが気に入って沈没、11連泊もしました。
かたやハノイでの民泊サービスで散々な目に遭ったのは、社会主義の国でまだ新しいサービスがスムーズに進まないからなのかもしれません。
ハノイに駐在している知人家族との貴重な会話では、私がこの旅行の中で気になったこと、私がその時どうすべきだったか、海外でのコミュニケーションの取り方を聞いてみました。おもんばかって、なんていうのはこっちの勝手。おもんばかられた相手にとっては、そんな気もなく単にやっちまったことなのかもしれない。だから勝手に思い込むのはやめようとなりました。(*2)
今の私目線で総じて感じたことは、 チェンマイの旧市街、ホイアンの旧市街、ハノイの旧市街 みたいに、旧市街全体が落ち着いた雰囲気を持っている佇まいが、心を和ませる、その街にとどまっていたいなと感じさせてくれるところでした。 特に街路樹と年代物の建物と、そのテラスには極めて高い植木愛好熱からたっぷり森のように樹木で覆われています。わたしのブログ記事にも、緑あふれる雰囲気の写真も折に触れ載せました。(*3)
そんなこんなでたっぷり楽しんだ 7週間・49日間の旅でした。
noteブログで毎日の日記を徒然に綴っています。その毎日の投稿文をまとめてマガジンにしました(*A)。 スタート初日分のURL(*B)と下に貼っておきます。よかったら覗いてみてください。
(*A)マガジン:暮らすように旅した「タイとベトナム49日間の自由旅」
https://note.com/fukuganshikou/m/ma36e28a11bf4
(*B)1日目 バンコク その1 タイ30日✙ベトナム20日のバックパッカー旅(なるべく安く、なるべく長く、なるべく楽しく)の初日
https://note.com/fukuganshikou/n/n28a0563ef978
(*1)ドイツ人の若い女性と半日デートは、「25日目 バンコク(2回目)その3」の中で
https://note.com/fukuganshikou/n/nc4343f60f7b6
(*2)海外でのコミュニケーションの取り方の話は、「46日目 ハノイ その3」の中で
https://note.com/fukuganshikou/n/nf283afd836f9
(*3)街路樹と年代物の建物と、たっぷり森のように樹木で覆われているテラスの写真が一番多いのは、「43日目 ベトナム中部の都市:ホイアン その11」の中で
https://note.com/fukuganshikou/n/n5874f065cf53