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癒えることない痛みなら「意味のあるものにしたい」
なんだかミスチルの歌詞みたいなタイトルですね(笑)。
癒えることない痛みというのは、過去のつらい出来事のことです。ずっと、どこか向き合いきれていないような気がしていまして。
正確には、つらい出来事というよりも、それによって思い出す感情に苦しむ『今の自分』と向き合うことを避けていました。
カウンセリングやコーチングで何度か気持ちを吐き出したので、当時の自分とは向き合えたような気がしています。ただ、そういった過程を経て形成された、『今の自分』をあらためて見つめ直すのが怖かったのです。
自分は、大丈夫なんだろうか。それを自分で確認することが怖くて、しばらくは逃げていたようにおもいます。
ただ忘れてはいけないのが、つらい出来事も、すべては幸せになるために行動した結果。現状、私にとっていちばんの幸せとは、自分らしく生きること。だから、過去のすべては自分らしく生きるために選んだことだと受け入れたいです。
最近は毎日「幸せだなぁ」とおもうけれど、今の自分と真正面に向き合えるほど回復したのかと問われると実はやや自信がありません。ですが、これからも初心を忘れずに生きていきたい。だから自分を幸せにする努力は怠らずに続けたいのです。
自分のなかで強烈なダメージとなってしまった傷が癒えるのはいつになるのか、わからないけれど……
癒えないのであれば、「何かしら意味のあるものにしたい」と、昨日ふと思いました。
たとえば、当時はよく理解できなかったから、つらかったのかもしれない。人は理解できないものには恐れを抱く生き物だから。だったら、『今から』学んだらいいんじゃないか。そうおもうと、急に肩の力が抜けたように楽になりました。
人は過去には戻れない。だから恩返しも罪滅ぼしも、基本的に当人にはできないものだと私はおもっています。
でも、だからこそ。過去の人ではなく、どこかですれ違っている赤の他人や、これから大切な人になるかもしれない誰かに気楽に『恩返し』をすればいい。ここ最近は、そう感じるようになりました(罪滅ぼしの考え方は、つらくなるのでおすすめしません)。
過去に自分が理解できなかったことを「学ぶこと」。自分なりに思いついたこの向き合い方が正しいのかはわかりませんが、今の自分を癒やすことにつながる気がしています。そして、学んだ知識は、今、目の前にいる人やこれから出逢う人を大事にするのに役立つかもしれないとも感じています。
私は自分と周りの人のためにも、もっといろいろなことを勉強したり人から教わったりしたい。そうすれば、いつか「今があるのは、あの出来事があったからだ」と心からおもえるようになる気がしていて。
過去のつらい出来事を意味あるものにする、とはきっと『捉え方を変えること』なんでしょうね。
簡単なことではないけれど……
少しずつ、一つずつ、やっていけたらいいなとおもっています。
自己受容ってどうするの??とおもっていたけれど、ある日「ふっ」と建設的な考えが浮かび楽になることがあります。笑
でも心が疲れていると悪い考えしか浮かばないので、自分を労るのはとても大事ですね(。><。)