周りがレベチで自信ないときは「徹底的に知る」が効く
周りをみて自信がでなくなったときの対処法には、二通りあると思っています。
①SNSなどをいっさい見ない
②相手をよく知る
わたしは基本①なのですが、最近②もなかなかアリだなぁと感じました。
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わたしは仕事に関して、なかなか自信が持てない人です。「まぁ、それはそれで仕方ないわー」と思っていたのですが(自信はないが楽観的)、最近ふと悲しくなってきまして。何年も頑張ってきたのに、ここまで自信ないって.…さすがに可哀想では?と思ったのです。いくらなんでも自分に対して失礼じゃなかろうか、と。
どうしてこんなに自信がないのか考えると、「周りの人のレベルが高すぎる」からだと気づきました。ところが、「このレベルが高い」って果たしてほんとうでしょうか?
たしかにスゴイ。みんな、とてつもなくスゴイ。
わたしの周りの人は、少なくともわたしよりスゴイ人に見える。わたしが「いえ〜い! 富士山の頂上みえてきたぜぃ」と喜んでいるときに、「やっぱりエベレストは最高ですよね、ふぅ」と涼しい顔をしているくらいには、違いが際立ってしまう。(※わたしの脳内イメージ)
でもね。スゴイよりもっと良いことに、わたしは気づいてしまったのですよ。それは、「みんな、おもしろっ」ということです(笑)。
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おたがいに心を開いて同じ時間を共有すると、相手の個性が見えてくる。そうすると、「この人スゴイ…意識高そう」「バリバリ仕事してそう。たぶん私の10倍はちゃんと社会人やってそう」みたいなイメージがいかに自分の憶測だったかを知るわけです。
そして不特定多数の人に自分を見せるとき、みんなやっぱり「まったくの素」ではないと思います(匿名だと逆に発信しやすいかもしれないけれど)。そのぶんクローズドな場で会うと、スゴイよりもお茶目だったり、意外にズボラだったり.…「なんかみんな普通やん」と思えることも多いなあと気づきました。
でも素を見せるって、すごく勇気のいること。自分や相手のタイプにもよるけれど、それなりに時間がかかると覚悟したほうがいいと思います。だから、ちょっと相手と絡んだだけで知った気になってはいけない。ましてやXやnoteのひとつの投稿だけみて理解した気になってはいけないな、と思いました。「ただスゴイ人」だと判断するには、材料も時間も足りないんじゃないかなと。中途半端に知っているから、比較して自信をなくすのかなと。
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相手を真剣に知ろうとするのは、けっこうエネルギーがいる作業ですが、いろんな人に会えば会うほど、いい意味で「みんな、ただの人やなぁ。同じことで悩んでるやん」ということに気づきます。アドラー心理学でいう「共通の人間性」ですね(うっすらとした記憶なのでググることを推奨)。
だから個人的には、知るなら「徹底的に」をおすすめします(笑)。
何度か話せる人なら何度も話す。
たまに会える人なら短時間でもこまめに会う。
オンラインだけのつながりならnote読みまくる。
そうすると自信があるとかないとか、スゴイとか羨ましいとかより「へぇ〜、こんな人なんだ」と、シンプルに相手に興味を持てます。相手に興味を持てなくても、徹底的に知ろうとすると「相手の考えがちょっと気になってきた」レベルまではギリいけるはず。元対人恐怖症のわたしでも、そうなれるのでそこは保証します(?)。
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そもそも、あなたが周りからスゴイって言われても「どこが??」と思うのと同じで、みんな実はそこまで特別ではないのかもしれない。ましてや本人たちは極めて平均的な社会人をやっているだけで、ぜんぜんスゴイと思っていないかもしれない。
そんなわたしも現在1226文字しか書いていないし、とりとめのない内容を書き散らかしただけだから、ほんとう全然すごくないんですよね(笑)。あーあ、それにしても構成ぼっろぼろのnote書いてしまった…たまにはいいか(笑)。ライターのnoteだけど、わりと素の感覚で書くチャレンジしたってことで大目に見てほしいです!笑