見出し画像

フリーランス「種まき」という言葉の危うさ

フリーランス稼業8年目になる。

その間に多くの駆け出しフリーランスと出会い、彼らの奮闘ぶりを見てきた。

そんな中で気になるのが「種まき」という言葉の使われ方。

もちろん、新規顧客の開拓や将来につながる活動は重要だ。

しかし、

「今は種まきの時期だから」

と言いながら、無料もしくは安価で働いたり、ひたすらSNSを更新したり、イベントに顔を出すだけで終わっている人もいる。

そうしているうちに、気づけば生活費の工面ができず、結局フリーランスを諦めてしまうケースも多い。

確かに「頑張っている実感」は得られるのかもしれない。

ただ、フリーランスの基本は、まず生活を維持することだ。企業に属していれば給与が保証されるが、フリーランスはそうではない。

生活に必要なお金を確保し、それを維持する努力をしつつ、その上で次の展開を考えるのが現実的な順序だ。


「お金はあとからついてくる」というのは事実かもしれないが、「フリーランス」はあくまで就業形態のひとつ。

種まきだけをしていて、生活が成り立つのか立ち止まって考えてほしい……と思うこともあった。

(本人の自由なので口は出さない、ここでだけ吐き出す)


一方で、「みんながみんなお金がほしいわけではない」ということも理解しなければならない。

貯金や配当がたっぷりある人が「暇つぶし」として、雰囲気で「フリーランス」を名乗っているケースもある。

また、主婦(主夫)の中には生活費の心配はなく、お金を稼ぐ必要もないため「前に進んでいる感」や「社会と繋がっている感」を求めてフリーランス活動をしている人も多い。

そうした目的であれば、収益の有無に関係なく活動を続けることが意味を持つのだろう。


自戒をたっぷり込めて、

「種まき」という言葉を言い訳にしないこと。

自分の行動について「種まき」という言葉を使うのであれば、自分の求める未来につながるものであるかどうかを、冷静に見極めること。

そんなことを、クライアントとの打ち合わせから帰る電車の中で思った。


いいなと思ったら応援しよう!

ふくちゃん
いただいたチップは大好きなハッピーターンを買うために使わせていただきます。ありがとうございます。

この記事が参加している募集