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『大木亜希子×スイスイ|まる裸の文章論—仕事人として「書く」こと』を聞いて勇気をもらった話
それを見つけたとき、気づいたら『文藝春秋digital』月額900円をポチっていた。
頭より指が先に、「これはこれから私が文章を書くためにきっと必要」と判断したとしか思えない。それくらい、一切の迷いがなかった。
それとは、noteライターさんおふたりの対談イベントである『大木亜希子×スイスイ|まる裸の文章論—仕事人として「書く」こと』の視聴権。
リアタイをしたかったけどその頃私は6歳児と小4にもみくちゃにされていたので、今日アーカイブを確認。
そしてめでたく、熱量に殴られた。というか炙られた。
面白かったというにはなんだか軽い気がして、いやでも確実に面白かったんだけど、凄みに圧倒されたし、真摯さに畏怖さえ感じた。
ああなんか、まだうまく言葉にならない。
でも私は、既にこの対談を今日の夕方に一度聴いて、今2倍速で2周目を聴き終わった。なんなら今、3周目を聴きながらこれを書いている。多分明日4周目に入る。
とにかくインパクトが強かったし、情報量が多い。一回じゃ間に合わん。
文藝春秋digitalさん、ほんとこの企画をやってくださってありがとうございます。
東京の方角に向かって、伏してお礼を申し上げます。
ちなみに対談者のお二人に、「生涯の1本は何ですか?」の質問を送ったのは私です。
取り上げていただき小躍りしました。ありがとうございました。
* * * * *
1/7から私は、noteを毎日書いている。
いやそれ以前も、ブログも書いてたし、mixiで日記も書いてたし、その前はHTMLのHPでも書いてたし、手書きの日記も書いてた。
多分だけど、平均よりは「文章を書く」ということを割としてきたし、今もしている人種だと思う。
読むことも好きで、人が書いたものに大いに心を動かされ、大切な教えだっていくつももらってきた。
なお、自分の文章は、好きだ。
読んだ人に、褒めてもらったこともある。
でも不思議なことに今まで、
自分が書いたものは「たいしたことがない」と感じていた。
私は好きだけど、他の人には特に関心を持たれないというか、社会的な影響力はないというか、パワーはないというか、そんな認識。褒めてもらっても、「いやそんな、嬉しいけど大げさな〜」って思っていた。
驚異的な速さで100mを駆け抜けたり、誰も想像できないような絵を描いたり、
1つの大岩から美しい裸像を切り出したり、何百人何千人に対してわかりやすくものを教えたり、
そういうことは「すごいこと、影響を与えること」だと感じる。
ちなみに、私じゃない他の文筆家の方達が、本や雑誌で執筆していたり小説を書くことも、同じように「すごいこと、影響を与えること」だと感じている。現に私も、書かれたものから大いに影響を受けて生きてきた。
でも、「自分が」書くことに対しては途端に評価が下がる。
好きではあるけど、自分が書いたものが、誰かを感動させたり、奮起させたり、勇気を与えたり、心を動かすとはあまり思えなかった。
人が書いたものは「すごい」と思うのに、なぜか自分のこととなると、「『文章を書く』って誰でもできることだし、大したことないでしょ」と、心のどこかが思う。
でも、好きで書いているし、それで構わない、と思っていた。
今までは。
* * * * *
お二人の対談を聴きながら、私はなんだか心強いような気持ちをふつふつと感じていた。
お二人を見ていたら、「書くことって『誰にでもできること』ではないんだ」と思ったから。
「命をかけて書いている」と言い切る大木さん。
「(自分の文を)読む前と読んだ後で、読んだ人の人生を変えてしまいたい」と語るスイスイさん。
こえぇ。超こええ。
なんだその力。なんだその熱量。なんだその覚悟。
でも慄く頭とは裏腹に、心はなんかもうときめいていた。
胸の辺りに字幕が出るなら「トゥンク…」って出てたと思う。
だって、すごい。
文章を書くことでだって、誰にでもできないような、心を動かす表現を世に放つことができるんでしょう?
私も、それ、したい。
大木さんとスイスイさんはじめ、先人の文筆家の人たちは、そうやってパワーのある、他者に影響を与える表現をされてきたと認識している。
そんな諸先輩方を仰ぎ見ながら、自分はそこから完全に切り離していたけど、もしかしたら、もしかしたら、書き続ければ私もそこに続いていけるんじゃないか。それしたい。と思えた。
書くことって、実は誰にでもできることじゃないんじゃないか。
決して小さなことじゃないんじゃないか。
私も、私の書いたものでも、もしかして誰かに届くんじゃないだろうか。
今までは自分が書くことを、どこかで少し軽んじていたので、ちょっとセーブしていた。これくらいでいいか、って。
でも、書くことに対してめちゃくちゃ真剣なお二人の姿を見て、私も書くことにこれくらい真剣になってみたいと思った。
そして真剣な自分が書いた文章に、出会ってみたい、とも。
自分のまる裸の文章に出会いたい。
そして、それがどれだけパワフルなものかを目撃したい。
そんな秘めた願いを、引き出してもらえたように思う。
書くことに迷った時、これを見直せば、おふたりの潔いまる裸っぷりに指針をもらえる気がする。
大木さん、スイスイさん。私もおふたりに続きます。
素っ裸系文筆家として、これからも輝く背中を見せてください。
●対談者の大木亜希子さん
著書↓
●対談者のスイスイさん
著書↓
●主催の文藝春秋digitalさん↓