見出し画像

エッセイストになりたかった / 入江風子

世の中には、なりたいものが決まっている人は少ないかも知れない。
ただ、私は好奇心が旺盛で、色んなものになりたかった。

小学生の頃は、花屋になりたかったが、早朝に起きなければいけないと母に言われてあっけなく諦めた。

その後、歌い手になることをハワイのマウイ島に旅行に行っていた際に決意したらしい。が、本人は失念。本人の記憶のキャパにはかなり限りがあるようだ。
という訳で、中学・高校と合唱・文化祭で指揮をして、Nコン(NHK全国学校音楽コンクール)でソロをもらったり、合唱として第九に乗ったり、バッハのマタイ受難曲でちょい役をやらせてもらい、後に卒業式でオーケストラをバックにソロデビューを果たす。とかなり充実した時間を過ごしていた。

大学は、桐朋学園大学音楽学部の声楽科に進学、そしてボローニャにいた新国立劇場オペラ研修所 招聘声楽講師セルジョ・ベルトッキ氏に師事。県立モデナ音楽院、ローマ・サンタチェチーリア音楽院で教えていたティツィアーナ・トラモンティ氏を紹介してもらい、そして同時にモデナ市内にあるミレッラ・フレーニ氏の立ち上げた声楽学院 CUBEC で聴講をしていた。

これも、断念。
かれこれあって、何が言いたいかというと、

一貫として、自分の気持ちをエッセイとして書き溜めていたということだ。
ただ、注意喚起として書いておきたいのは、ここまで書いたのは事実だということ。

私の書きたい、というか現在進行形で書いているエッセイは、フィクションであるということ。それは実際私が思っていることと、360° でいうと、30°くらい傾きを付けて脚色してある。

それは、ストーリーを一般化し、登場人物の特定を難しくする為の作業的なぼかし、で、たとえば私は本格的なインドカレーも、日本風の中村屋のカレーも好きだし、天邪鬼な人間だから答えを迫られると小さな嘘は出てくるし、大体好きな人といる時は会話の方が楽しくて固形物など喉を通らないということである。

それを究極の察してちゃんのマニュアルのように捉えられてしまうと困ってしまって、文字化された情報に対しても、本気で言っているのとそうではないのがあって、エッセイなど活字化されてしまうのは、少し恐ろしいようだから、noteで始めてみました。

Di getto、イタリア語で、筆の流れるがままに、気まぐれに書いております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?