ことの始まり。
原因不明の微熱が続いてもう1ヶ月以上。
正直、緊急事態宣言になる以前から、真面目にSTAY HOMEして、3月下旬からは、全くといっていいほど、不要不急の外出もせず、友人にも会わずにみんなで励ましあいながら生活していた。
何故なら、実際に、コロナにかかったにも関わらず、なかなか検査をしてもらえなかったり、大変な思いをしている友人(私は接触していない)達がいて、その話を聞いていると、当時の日本では、帰国者または濃厚接触者でない限り、なかなかPCR検査を受けられない、保健所には電話が繋がらない、病院から掛け合ってもらっても受けさせて貰えない状態だった為、感染経路がわからない状態では、とにかくかからないようにすること、自分が無症状キャリアかもしれないと思って行動する事が自分達にできる事だと思っていたからだ。
そして、1ヶ月以上ぶりに友人に会った4月30日。
私が誰にも会っていない事を知った友人が、外で間隔をあけて数時間なら問題ないのでは?と提案してくれて、別の友達もランチを横並びで間隔を空けてしているというのを聞いていたので、公園で友人2人とほんの2時間、ピクニックをした。食事以外はマスク着用だったけど、生身の友人と会って話すってすごく元気が出るなって思って、お日様の光もいつも以上に気持ちよく感じたし、お弁当の味も、美味しく感じられた。
私はよく「歩く食べログ」と呼ばれ、美味しいもの好きとして、美味しいレストランを聞かれたり、ホームパーティーをして欲しいと言われて人を招いていて、自他共に認める「食いしん坊」だったのだが、コロナ自粛が始まって気づいた事は、別に、一人で食べたい訳ではないという事。
食事の美味しさは誰かと共有する為にあって、一人での外食は正直苦手で数える程しかした事がないし、誰かの為に作って一緒に食べることが好きな訳であって、自分一人で食べるならば、何だって良い。
一人で食べる食事は味気なくて、正直、食欲がなくなってしまったのだ。
そしてそんな大切な事を再確認した4月30日、帰りに寄ったスーパーが最後に行ったスーパーである。笑
人に言うと、どうやって生活しているんだ!?と、ビックリされるんだが、OISIXやAMAZONなどの宅配サービスとか、作るの面倒な時はUBER EATSでどうにかなるからね。便利な世の中です。
そして、緊急事態宣言も解除されたが、だからといって自分の中での自粛ムードは変わらずの生活を送っていた。
そして、その週末が開けた次の日の夜から体に異変が起きた。
急に怠さと熱っぽさと頭痛が始まった。平熱が普段、35.6度くらいなのだが、熱を測ると低体温期にも関わらず、37度近くある。正直、私にとって、36.7を過ぎると微熱だ。
そして、37度は熱になり、37.4度にもなると、大体、フーフー言い出したり、吐いたりしだして、ウイルス系の病気が疑われるようになる。38度になど出ようものなら、立てなくなるので、夜なら救急病院に行くかの瀬戸際を迫られる。
参ったな...と思いながらも、元々、小さい頃から頭痛持ちで何度か治療はしていたのだが、なかなかうまい具合に続かず諦めていたが、また吐く程酷くなってきたので、ホルモンの関係もあるかもしれないと思い、去年末、婦人科に受診すると、そこまでの頭痛はホルモンだけではないとのことで、脳神経外科に行くようにと言われ、その足でたまたま行った脳神経外科の先生がとても丁寧で良い先生で、私が治療をしていた当時はまだ偏頭痛というものがあまり知られていなかった為、私が試した薬も治験薬だった為、偏頭痛がトリガーになって、緊張型頭痛を引き起こしているというのが先生の見解で、いくつかお薬を試してみることになり、毎日飲まなくてはならないものだが、去年末からは、いい具合にその薬の効能はあったので、まぁ、それを飲んで寝れば良いかと思って飲んで床についた。
実はお薬のアレルギーも色々あって、飲める薬も限られているので、微熱程度の風邪気味になると(咳などが出ていない場合)、漢方やらハーブやらを飲んで暖かくして寝ると、大体熱は下がっているのだが、次の日になっても微熱は続いたまま・・・。
そして偏頭痛の薬は全く効いていない。熱も、36.7~37.4度を毎日行ったり来たりする。特に、夜になると熱が上がる。
当時、37.5度以上の熱が4日以上続いたら、というのが東京都でコロナの受診判断基準になっていたので、私の場合、37.5度には満たしていなかったので、LINEからくる健康診断も問題ないとされてしまっていたが、正直、自分としては、微熱の範囲を越えていたし、不安でたまらなかった。何故なら、3月上旬に同じような症状で、飛沫を防ぐためにもインフルエンザの検査すらできないと言われたりして、病院をたらい回しにされ、病院からも保健所に掛け合ってもらったが、PCR検査を受けさせてもらえなかったが、症状が3週間ほど続いた友人がいて、その友人曰く、同じ症状の友人が別にもいたし、SNSで調べたら、当時、同じような症状で困っている人が沢山いたというのだ。
私も同じかもしれない・・・と思いながら、とはいえ、実際に完全にクロのコロナの症状で陽性が出て自宅療養をした友人の話などを聞いても、有効な薬をもらった訳でもない。ただ、じっと症状が治るのを待つだけ。とにかく、その友人が、コロナ外来がある訳でもないし、病院が一番、保菌者が多いから、行かない方が良いと言っていた言葉が残っていたので、確実ではない限り、私は自宅で様子をみることにした。
一向に下がらない熱。
むしろ、3週間たった頃、夜になると37.5度を越すようになってしまい、息苦しさと軽い咳や、胸の痛みが出てきてしまった。
子供の頃にかかったマイコプラズマ肺炎でさえ、自覚症状があまりなかったし、と思い出し、初めて区の保健所に相談したところ、かかりつけの病院を受診するようにと言われた。
それって町医者だよね…?
自分がもしも…だとすると、なんだか行く事に気が咎められた。
以前、診てもらった事のある病院がオンライン診療をしている事がわかったので、とりあえず、オンライン診療を受けてみる事に。
すると案の定、先生も、私が、最後にスーパーに行ったのが4月30日で…と言うと、ビックリしていた。笑
それだけ真面目にステイホームしていたら、コロナは考えられにくい、と。
とはいえ、症状としては肺炎などにはなっていないだろうが、コロナかどうかと言えば、軽〜くかかっている状態かもしれないというグレーの状態で、オンライン診察上では大丈夫だとは言えない、との事で、だからといって、コロナも発症から1週間が瀬戸際で、そもそもPCR検査が100%信頼できるものではないということ、既に3週間経っている私は陽性であっても陽性結果が出る可能性は低いと言われた。そこで、もう少し様子をみて、次の週になっても熱が下がらなければ、病院に採血などの検査をしに来てはどうかと提案された。
3週間で治った友達もいたし、もうそろそろ大丈夫でしょう、と思いながら、週末がやってくるのを待ったが、熱は下がらない。
週明け、人の少ない時間を予約して病院に行った。
結果は、レントゲンと血液検査して貰って、肺炎や他のウイルスや病気の可能性がないとの事だった。じゃあ、コロナじゃないかというとそうではないとは言えないとのことで。
PCRしてもいいが、発症から日数も経っているわけだから、陽性がでる可能性低いが、だからといって、陰性結果が出たからといってコロナではない、と言い切るのは本来であれば無責任な事だと説明された。
熱が出ているうちは、コロナの可能性を疑う必要があるとのことで、薬も飲まずに72時間以上熱が出ない状態を保てていないかぎり、人との接触は避けてください、との事だった。
そしてもう、1ヶ月と1週間が経つ。
実はこの状態をSNSで呟いたら、実は、同じような症状の友人や家族がいる友人、友人がいる友人、あわせて10人程から連絡があった。
最長でロンドンの人で7週間。
もう1ヶ月以上も熱が続くと段々とその体温にもなれてきて、実際にここ2、3日、全体的に体温が下がってきた。
きっともうこの原因不明の出口の見えない迷宮から脱出できるに違いない。
とにかく、もう1人でSTAY HOMEしてると、頭がおかしくなりそうになった。
やる事もなくなってくるし。
自分ととにかく向き合いながら、自分が好きな事、得意な事、色々と考える日々の繰り返しだった。
これからの人生への不安との闘いもあった。どうやって生きていくか、何がしたいのか。
とにかく、創るという作業が好きだ。
音楽をつくることも、こうやって書くことも。
実は、一昨年、ひょんなことから、映画脚本家としてデビューを果たした。
そしてその私の処女作「飢えたライオン」は、様々な国際映画祭にて賞をいただいたり、ノミネートされたり、プレミア上映されたりしたのだが(勿論、日本の映画館でも公開されました。今はDVD化されています)、何よりも嬉しかったのが、バレンシア国際映画祭にて、最優秀脚本賞という脚本を評価する賞を頂いた事。
それで、色々と考えて得意なものを集めたものを作ってみた。
そして、人生で初めて、YouTube チャンネルというものを作ってみたのだ。
その名も、「OTO-MONOGATARI」
「音物語」である。
音楽と小説と写真と動画を融合させたもの。
とりあえず、1話ずつ、アップしていくことにした。
是非、ご覧になってみてください。
使われてる音楽などもnoteにupしています。
まずは、このコロナがキッカケで私がはじめたことの経緯。
長くなりましたが、最後まで、読んでくださってありがとうございます。