ふらり近所の老舗酒店へ
家の近くに、地元の酒好きの間では有名な老舗の酒店がある。
商店やカフェが軒先を連ねる通りの一角。
ひっそりと佇むその店の店内は酒で溢れている。ワイン、ビール、日本酒、焼酎、洋酒。なんとなく種類ごとに仕分けはされているが、様々な瓶が所狭しと並ぶ様子はまるでおもちゃ箱のようだ。雑多なようでいて、酒のひとつひとつが際立って見える。
「今日はどうしたん?何かお探しかな?」
店内に踏み込むと店主のおばちゃんが声をかけてくれる。齢70近いというおばちゃんの接客は、元気でさっぱりしていて、つかず離れずいい具合だ。
先日わたしは友人の贈り物としてワインを購入しに行った。
友人は職場の同僚で、半年というわずかな期間一緒に働いただけだったが、酒好きということもあり、何度も一緒に飲みに出かけた。そんなワイン好きの彼女への感謝の気持ちと新しい門出を祝した贈り物をするには、おばちゃんに一緒に選んでもらうのが一番だと考えたわけだ。
「チーズや軽い前菜に合わせておいしくいただけるワインはありますか?」
ワインに詳しくないわたしの大雑把な注文に対して、おばちゃんは棚を回って吟味しながら質問を重ねていく。
「赤か白だとどっちが好きそう?フルーティなものと辛口ならどっち?」
「予算はいくらくらいを考えてる?」
「目上の方?若い方?」
そうして最終的に、目の前に一本のボトルが差し出された。
「これだったら予算の5000円にぴったりやと思うよ。云十万のワインを飲みつけているこの店の常連さんたちもおいしいって言って気に入っているし間違いないわ。」
これまで何十年もこうして酒を提案してきたおばちゃんのおすすめには説得力がある。わたしはそのワインの購入を決めた。あっという間だった。
ラッピングをしてもらっている間、わたしは自分自身へのお土産を購入すべく棚の間を練り歩く。
――ビールかぁ、いいね。フルーツ系とかIPAとか軽い系もいろいろあるな。
――いやでも日本酒もおいしそうだし、自分用にワインを選んでもらうのもいいかも。
そんなこと考えていると、活き活きした声が聞こえてきた。
「ねえ、今日は飲めるの?車じゃない?」
わたしが酒選びに夢中になっている間にラッピングを終えたおばちゃんが、棚の間からひょっこり顔を覗かせる。その目は無邪気できらきらしていて、まるでいたずらっ子のようだ。
「とってもおいしいビールがあるんよ。桃ビールなんやけど、フルーツビールは興味ない?おすすめやけんちょっと飲んでみない?」
数分後、わたしの手にはプラスチックコップに入ったビールがあった。コップを顔に近づけると芳醇な桃の香りが漂う。
――おばちゃんは本当に商売上手だな。間違いなくおいしいけど。
少ししてやられたような感覚。情けないことに、それすらも幸せなのだが。
おすすめされた酒を次々と飲んでいるうちに、夜は深まり店内は少しずつ人で賑わってきた。店内では酒を購入したり角打ちを楽しんだりする客も増え、店に一つしかない大きな長テーブルをみんなで囲む。
年齢も性別も職業も関係がなく、ただ酒を求めてこの店に集まっただけのメンバー。おすすめの飲み屋の話から仕事の話まで、会話の内容はさまざま。おいしいお酒を手に、取り留めもない話題が留まっては流れていく。
最近こんなに笑ったことあったっけ、と不思議になるほど盛り上がり、それと同時に、みんなが意外と近くに住んでいることを知った。
「またここで偶然会えたらいいね。」
「私たちは毎週のようにここで飲んでるけん、あんたが来ればいつでも飲めるで。」
そんなセリフを交わしながら店を後にしたのは22時。プレゼントのワインの重みを右手に感じながら、ほくほくした気持ちで家までの道を辿った。
最近ではおしゃれな居酒屋や立ち飲み屋も増え、そういった場所が出会いの場になっているという話もよく聞く。わたしもそうしたおしゃれな居酒屋が好きで、友人と飲む際にはそういった店を選ぶことが多い。しかし、地域に愛される老舗の居酒屋には別の良さがある。
近くに住む地域の酒好きとつながる機会を得られ、自分が生まれるよりも随分と前の時代の話を聞くことが出来る。よくよく話してみると、出身中学や高校が一緒だったり、同じ部活の先輩後輩だったりすることもある。
また、学歴も仕事も全く違う人がかなりいることに気付かされる。そんなお仕事があるんですか、そんな経験をされているんですか、と驚くことも多い。職場の仲間や学生時代からの友人とだけ話していたら一生知らないままだっただろうと思うような、新鮮で興味深い話がいっぱいあるのだ。
そして何より、他の客との距離が近いこと。そして、昔ながらのアットホームな店の作り。それらが自然と心を癒して、肩ひじ張らずに等身大の自分で気軽に酒を楽しむことが出来るのが一番の魅力であると感じる。
我が家が転勤族だったことも手伝い、私はお正月に親族一同が集まるというような状況を経験してこなかった。しかし、この店に来ると、大勢の親戚と一同に会して飲んだり食べたりして楽しく盛り上がる、そんな空気を疑似体験している気持ちになる。家での暖かい飲み会、そんな感覚だ。
近いうちに私はまたこの店に足を運び、おばちゃんの巧みな誘いで酒を飲むのだろう。きっと新しい知り合いも増えるに違いない。しかし、時にふとこの店の将来を憂えてしまうこともある。おばちゃんがいなくなったら次世代はだれが継ぐのだろう?この店の客層もいつかは変わって、この雰囲気も無くなってしまうのだろうか?
――そうならないように、わたしがこの店の常連になろう。
少しでも店が潤いますように。少しでも若い人が良さに気付いてくれますように。そう小さく決心しながら、今日も晩酌のビールを買いに行く。
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