ひとりの死者を追いかけるということ
『ある行旅死亡人の物語』について
気になっていた『ある行旅死亡人の物語』を読んだ。
以下は本の元になった記事。
ある日、ひとりの女性が死んだ。
“令和2年4月26日午前9時4分に錦江荘2階の玄関先において左横臥に倒れ絶命している状態を発見された。死体検案の結果、令和2年4月上旬頃に死亡したことが判明した。死体の所持品から死体は『田中千津子』の可能性が高いため、尼崎東警察署により身元調査が行われたが、身元判明には至らず行旅死亡人として尼崎市へ引き継がれた”
ここで多くのことを書くと、この本を読んでみようと思う人たちの興醒につながりかねないのは承知しているけれど、“身元調査が行われた”にも関わらず、“身元判明には至ら”なかったのは深い事情がある。
“残されていた労災の書類から、94年4月、当時働いていた尼崎市内の製缶工場で、事故によって右手指を全てなくしたことが分かった。労災年金の給付が決まったが、後に自ら給付を断ったとみられ、97年ごろに打ち切られていた。住民票も95年、理由は不明だが市の職権で削除されていた。自宅に固定電話はあるが、電話をかけた履歴もなく基本料金を支払い続けている状態だった”
名前はある。でも誰かわからない。近所付き合いもない。家の中に最近のレシートすらない(あるのは90年代のものなのだ)。大家さんも詳しく知らない。つながりが見えない。どうやら死者は生前じぶんから様々ものを断ち切っていたらしかった。様々な理由から見えない人間になっていたようだった。
結果官報には、
“本籍(国籍)・住所・氏名不明、年齢75歳ぐらい、女性、身長約133cm、中肉、右手指全て欠損、現金34,821,350円”
とだけ記された。見えない人間のプロフィール。そしてどんな人間も最後は骨になる。ただどこにも居場所がなかった。そんな遺骨がぽつんと残された。
地道なリサーチ
その官報を見た記者が、女性は一体どういう人だったのかを追いかけるところからこの物語ははじまる。
記者は関係者の聞き込みと遺留品の調査からこの物語を組み立てていく。聞き込みは保健福祉センター職員、弁護士、大家さん、とあるブロガー……挙げればきりがない。アポをとる。そして話を聞きメモ、話を聞きメモ、話を聞きメモだ。年齢、性別、就いている職業、性格によって話し方も記憶の保持の状態もちがうのがおもしろい。おもしろいといえばこの本に出てくる人たちは公安関係者以外ほぼ実名だ。実名はこの物語に立体感を与えることに成功していると思う。
遺留品は一癖も二癖もある。印鑑(ちなみに田中姓ではない)、星形のペンダント(数字が書いている)、ぬいぐるみ(服を着ている)、そして古い写真たちだ。それぞれ小さな謎があり、調べていくと道が見つかり、進んでいくとまた別の謎が現れる。ドタバタと脱線。ひたすらそのくり返しだ。この地道なリサーチはわくわくする。はっきりいって興奮さえする。だって無数の情報の断片が集合し、徐々に見えない人間の像が立ち上がっていくから。記者の興奮がそのまま追体験できる。この追体験で思うのは、たとえどんな人間になっても(ある一定の)痕跡は残るということだろう。どうしてここまで感動しているかというと、怠惰なわたしは一瞬忘れかけていたのだけれどいまはコロナ禍だ。人と人が会うのをはばかれる時代だ。仕事とはいえ見えない人間のためにわざわざ見知らぬ人に会いに行けるだろうか。
最後に
もう何人かの人たちの感想にもあるように、この物語の謎の多くはわからない。
というのも、それは見えない人間が、生前、強く望んだことだ。私のことを忘れてください。このことは疑いようがない。
その望んだことに対して、残された3400万の現金のことや、指がないといったことに対する好奇心をきっかけにして、わくわくしたとか興奮したといったことを書くのは見えない人間にとっては不誠実な態度だと思う。一方で、このドタバタと脱線を追体験することは、死者に対してひとつの喪になるのではないのだろうか。(最後まで読んだらもう一度表紙を見てほしいと思った)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?