【ショートショート】一周
ある日、お隣の家の主人が訪ねてきた。
「来年の町内会の役員になってほしい」
という。私がしぶると、
「なあに、町内を一周するだけですよ」
と軽くいう。
仕方なく役目を引き受けると、関係書類をどさっと渡された。大変そうで、泣きそうになる。
「大事なのはこれ」
といって、ご主人は資料の中から町内の地図と徴収ノートと領収書をより分ける。
「時間はかかっても構いませんから頑張ってください」
こういうことは、先延ばししてもろくなことはない。
私は次の日からさっそくとりかかることにした。それまで同じ町内会にどんな人が住んでいるか、気にしたこともない。
まずは反対側のお隣、松下さんだ。
呼び鈴を押すと、松下さんが顔を出した。
「こんにちは。町内会費の徴収に伺いました」
「いくら?」
「年間千二百円です」
「そんなにとって、なにに使うの?」
「さあ」
「さあじゃ困るじゃない」
初手からつまづいた。私は家にとって返し、資料の山を漁る。会計報告書を見つけた。これを見せちゃえ。
松下さんは「しょうがねえなあ」と言ってお金を支払ってくれた。
その横はフランス語教室を開いている木下さんだ。いつチャイムを押しても応答がない。しかし、私はときどき、夜になると灯りがつくことを知っている。毎日チャイムを押してみることにした。
次。佐藤さん。ずいぶんとお年寄り。
「町内会の会費をお願いします」
というと、
「はいはい」
と返事はいいのだが、
「ごめんねえ。いま細かいのがないや」
「大きくてもいいですよ」
「大きいのもない」
だんだん事情がわかってくる。どうやら認知症らしい。お金は近くの親族の人が管理していて、本人は触れないのだという。そういう事情ははやく伝えてほしかった。何度通ったことか。
佐藤さんのお隣は外国人で、言葉が通じない。名前もわからない。会長に泣きつくと、会長もこの人のことはわからないみたいで、「いいや」ということになった。
その横はシェアハウスだった。合計五家族が住んでいる。会長と相談し、一家族五百円に値引きして、二千五百円いただいた。なんだ、けっこう臨機応変の判断が必要じゃん。
そのお隣の柳瀬さんちには広い庭がある。門を入ったところに、「狸出没注意」の看板が出ていた。
へえー。このあたり狸がいるのか。狸ってそんなに怖い動物だっけと思いながら、町内会費をもらう。その夜確認すると、木の葉だった。
次の日にもう一度行って、「いやあ、狸に化かされましたよ」という話をして、帰宅すると、また木の葉。
何度通ったかわからない。ホンモノの柳瀬さんにお会いできたのは年末のことだった。
こんな調子で年をまたぎ、いつも居留守を使う木下さんにも粘り勝ちして、ようやくコンタクト可能なすべての家から町内会費を徴収し終えた。いったい何周したんだ。
私はお隣を訪ね、「来年度の町内会の役員をお願いします」と言った。
そして、しぶる松下さんに「なあに。町内を一周するだけですよ」と決め台詞を伝えた。
(了)
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