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【ショートショート】非常口

 なかなか寝付けずに本を読んでいた田中は、焦げ臭い匂いに反応した。
「なんだこれは」
 ベッドから跳ね起き、寝室を出ると、一階から煙が上がってくる。火事だ。
 田中はあわてて息子の部屋をあけ、
「おい、起きろ。火事だ」
 と叫んだ。
 妻は親戚の家に行っているから不在。
 寝惚けまなこで起きて来た息子は、どうしようと思案している田中をつんつんとつついて、
「とうちゃん、あっち」
 と言った。
 よくみると、二階のトイレのドアに人が逃げる非常口のマークが書いてある。
 なぜこんなどん詰まりにと思いながらドアをあけると、天井にマークがあった。田中は息子を押し上げ、自分もトイレの便座の上に乗って、二階の天井に這い上がった。
「ぎゃあ、ネズミ!」
 と息子が叫ぶ。
「大丈夫だ。ネズミには食われない」
「デカいよ」
「あれはハクビシンだな。気にするな。逃げるぞ」
 天井を進んでいくと、また非常口のマークがあった。隣の家につながっているらしい。
 なおも天井を這い進み、非常口を下りると、そこは風呂場だった。夫人がお風呂に入っており、田中親子を見て、
「きゃー」
 と悲鳴をあげた。
「奥さん奥さん。悲鳴をあげている場合ではありません。火事です火事です」
 三人で逃げた。
「こちらです」
 と夫人が案内する。ウォークインクローゼットに入ると、その奥に非常口のマークがあった。
「ちょっと待ってください。着替えます」
 後ろから煙がやってくる。
「はやくはやく」
 とせかして、ようやく三人は非常口に突入した。
 狭い通路を進み、壁に飾られた絵をばりばりと破って、町内会長の家の居間に出た。
「や。これはなにごと」
「会長。火事です」
「なんとまあ」
 会長の家は広い。
 三階に上がって、あたりを見た。
「うーむ。たしかにこれは大火事じゃ」
 消防車が集まってきているが、いまにも撤退しそうな勢いだ。
「逃げたほうがいいかもしれんな」
 と町内会長は呟き、
「おーい。非常口」
 と叫んだ。
 庭で犬がワンと吠えた。
 この犬、名前を非常口という。危険を察知して、反対方向に導いてくれるそうだ。
 四人は非常口に案内されて街中を逃げ、どうにか令和の猛火と言われた大惨事を逃れることができたのだった。

(了)

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