【ショートショート】夜汽車の怪
ごとんごとん。
夜汽車の振動が伝わってくる。
個室にはベッドが四つある。入り口の左右に二段ベッドが用意されているのだ。
田中は右側の二段ベッドの上の段にいる。
毛布にくるまり、カーテンの隙間からガラスの向こうの闇を眺める。
とうに夜半をすぎた。列車は広大な田畠のなかを通り抜けているのだろう。内にも外にも灯はない。
田中はふだんでも目がかたい。旅にでるとよけいその傾向に拍車がかかる。
スマートフォンを開いてみるが、とくにみるべきものもない。
こほん、と小さな咳が聞こえた。下の段の女性客だ。彼女もまた眠れないのだろうか。
ごとんごとん。
すでに三時を回った。
眠気よこいと願ってみるが、むなしい。
あたりは静かだ。
静かすぎるといってもいい。ふつうはもうすこし歯軋りとか寝息が聞こえてくるものではないだろうか。
誰も寝ていないのか。
寝なければ夜は明けないというこの国の伝説を聞いたことがある。
時計の針は凍りついたように動かなくなってしまった。
突然、左側の二段ベッドのカーテンが開き、
「眠れませんな」
という大きな声が聞こえた。初老の男がグラスを持っていた。
「みなさん、飲みませんか」
「すみませんが、私はアルコールが入るとよけい眠れなくなるたちで」
と田中は答えた。女性も同じだと言った。
左側の下のベッドには言葉のよく通じない外国人がいたが、彼は自分のコップに酒をついでもらった。
「とりあえず、乾杯ですな」
と男は言った。
「酔っ払ってでも寝てしまわなければ、夜が明けない」
「やはり、そうなのですか」
と田中は質問した。
「ええ、そうですね。眠らない限り、この闇はいつまても続くのです。だから私は飲酒がやめられない」
初老の男と外国人は飲み続けたが、睡魔はやってこないようだった。
田中と女性客はカーテンを閉めて、ふたたび目をつむった。
もうずいぶん駅にも停車していない。
ごとんごとん。
ごとんごとん。
不眠の奈落に落ち込んでしまったかのように、夜汽車は同じ振動を伝えてくる。
突然、がたっと扉が開けられた。
「みなさん、どうか眠ってください」
車掌の悲鳴のような声が聞こえた。
「緊急措置です。これは緊急措置です」
各ベッドに猫が一匹ずつ投げ入れられた。
猫たちはしばらくベッドの上を歩き回っていたが、やがてお気に入りの場所を見出したらしく、くうくうと寝息を立て始めた。
その姿を眺める田中の脳裏に霧がかかり、あくびが出た。
「終点です。終点です。ご乗車のみなさまはお忘れ物のないようにご注意ください」
時計は九時をさし、いつのまにか猫たちは姿を消していた。
(了)
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