【ショートショート】しみの町
田中は粗忽者である。
食事をすれば食べかすをあちこちにこぼす。醤油やソースはどこかにぶちまける。待ち合わせをすれば電柱にぶつかり、鼻血を流しながらあらわれる。自分でもどうしてこんなに粗忽なのか合点がいかない。
毎日、大量の汚れものが出る。よごれは洗濯だけで落ちるとは限らない。そのため、田中は「染み抜き」という言葉にとても弱い。新しい染み抜き商品が出ると試さずにはいられない。
ネットで、
「どんな染み・よごれもふわっと浮かす」
というフレーズを見つけ、即、ポチった。
翌日、染み取りマスター大型ボトルが届いた。
さっそく鼻血に染まったTシャツに振りかけてみる。
黒く固まった血痕がふわっと浮いた。
ふわっ、ふわっ。
よごれが田中のほうに接近してくる。
「わわわ」
田中は玄関のほうに逃げた。よごれが出ていったので、ドアを閉める。通りのほうから「ぎゃっ」という叫び声が聞こえてきた。
申し訳ない気持ちになったが、よごれを退治した喜びのほうが勝る。田中は庭で衣類やソファカバーなどの汚れ抜きを行うようになった。そのたびにしみ、よごれがふわふわと通りのほうに漂っていく。
ある朝、田中がゴミ捨てをしていると隣の鈴木さんの奥さんに出会った。額ににベタッと黒いシミが浮いている。
「おはようございます。どうしたんですか、そのシミ」
「わからないの。散歩から帰ってきたら、こんなシミがついていて、いくら洗ってもとれなくて」
「ちょっと待っていてください」
田中はシミ取りマスターを取ってきた。ティッシュに染み込ませて奥さんの額を拭くと、しみがふわっと浮き出してどこかへ飛んでいった。
「田中さん、すごいっ」
鈴木さんは大喜びだ。もともとは私が悪いんですけどねと田中は内心で詫びる。
シミ取りマスターは大ヒット商品となって、街中にしみ、よごれが浮遊し始めた。
すると、今度はシミのつかない服やマスクが売れ出した。あるいはしみとりの化粧品も。発売元はぜんぶ同じだ。
「うまい商売をしやがって」
と思うが、しみの発生に一役も二役も買っている田中にそれをいう資格はない。
(了)
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