【ショートショート】路地裏
日が暮れてきた。
田中は車のハンドルを握っている。掌がじっとりと汗ばんでいる。
住宅地の裏路地に迷い込んでしまったのである。
車二台がすれ違うことができない細い路をもう何十分も走っている。どこかで折り返しできないかと、目を皿のようにして小さな空き地がないかと探していたが、どこにもなかった。びっしりと小さなアパートや一軒家が建ち並んでいる。
裏手にもっと広い道があるのかもしれないが、それならそれで、接続する道がどこかにありそうなものであった。
夕焼けチャイムの音が流れてきた。
「帰れるものなら帰りたいよ」
と田中は泣き言をもらす。
打つ手がないまま、とうとうどん付きまで来てしまった。行き止まりは小さな円形の広場になっていた。
方向転換だけはできるのか。
田中が広場に入ろうとすると、町の人らしきおじさんが立ちふさがった。
「悪いが、ここは宅配便専用の折り返し広場でね」
「そんなこと言わずに通してくださいよ」
「有料だよ」
「おいくらですか」
「五万円」
ぼったりだと田中は思った。
「ぼったくりだと思ったでしょう? だけど、この広場を作るのにもお金がかかっていてね。利用するならするで、協力してもらわなくちゃ困る」
「そんなお金持ってないですよ」
「クレジットカードでもいいよ」
五万円出さなければどうなるのだろう。ここから大通りまでバックしていかなくちゃならない。
「ここで方向転換したとしてですね、向こうから車が来たらどうするんです?」
「そりゃ、バックしてもらわなくちゃならない」
それでは、同じことだ。
田中は広場を使わず、バックして大通りまで戻ることにした。もっと早くに決断していればよかった。
田中は延々とバックし続けた。
途中で、田中と同じように迷い込んできた車と出会った。田中が経緯を説明すると、最初は憤っていた相手も、
「なんとまあ」
とあきれたように手を挙げた。
ふたりでバックを続けた。
やがて、田中の車が住宅の壁をこすった。わらわらと人が湧いて出た。
「弁償だ弁償だ」
ここは車を捕獲する蜘蛛の巣のような路地裏なのだ。田中が自動車保険会社に電話し、トラブル内容と住所を告げると、相手は「はい。わかりました。すぐに弁償しましょう。住民の方と代わってください」と言った。保険会社にとっては有名な場所なのだろう。
田中が大通りにたどり着くまでに五時間かかった。
(了)
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