ケアマネになるまで。
高校生~10代での結婚。
田舎出身の私は田舎の公立中学で、普通の成績を収めるオタク女子でした。
中学生の頃はは漫画やアニメにはまり、クラスのカースト下位にいる陰キャグループでした。
進学は自分の成績で行ける普通科の高校を選び、大学に行く事が当たり前と思っていました。
しかし、高校入学後勉強を怠り、やりたいことも見つからず、大学受験などできる成績ではなくデザイン系専門学校に入学しました。
その頃、実家を出てアルバイトや専門学校に行きながらネトゲ三昧の日々。
ネトゲで知り合った人と付き合い始め、19歳の誕生日が過ぎた頃、妊娠発覚。
紆余曲折ありながら実家に戻り結婚、出産をしたのです。
無資格者、未経験者の子育てと仕事の両立。
普通高校卒で何の資格もなく、新卒で就職した経験もない20歳の赤子を連れた女性を、世間は雇ってはくれませんでした。
まずはパートで、短時間で、保育料とトントンくらいのお給料しかもらえない仕事を始めました。
クリニックの受付、倉庫のピッキング、化粧品工場の検品、介護の仕事を始めるまでに渡り歩いた仕事はこれくらい。
当時は全て夫の扶養内で働いていたので、年収100万円程度でした。
それでも、世間とのつながりを持ち、自己肯定感を得るには十分でした。
0歳から保育園に預けたことで、子育ての不安も解消されました。
介護の仕事に挑戦。
化粧品工場にいた頃、「介護の仕事をしていた」「これから介護の仕事をしようと思う」「高校の福祉科を卒業して介護をしていた」という人たちに会いました。
介護の仕事をしていたが、身体的や精神的に疲れたり、働き方の問題で現在の工場にいるのだと話してくれました。
「でもまた戻りたい」と話す人もいて、楽しいのだろうか?と興味を持ちました。
「これから介護の仕事をしようと思う」と言った人は、工場で働きながらヘルパー2級(当時。現在は初任者研修という資格)を取得して転職活動中だと教えてくれた。
それを聞き、私も工場で働きながらヘルパー2級を取得(パートで数年働いていたので教育訓練給付金を受給できました)
子供が小学校に入ったのを機に転職しました。
初めてのフルタイムで就職を決めたのはデイサービスでした。
介護福祉士を取得、そして高みを目指し。
デイサービスには色々な人が居ました(利用者も職員も)
3年働くと介護福祉士の資格を取ることができるということで、もちろん挑戦しました。
しかし、私が受験する年から制度が変わり、実務者研修という資格を取ってからでないと受験できない仕組みになりました。
この実務者研修を取るのにまたお金がかかり、ハードルが高いなぁと思いました。
介護職ってお給料が少ないのです。(まだ処遇改善手当が無かった)
この頃はフルタイムパートで手取り12~13万程度だったと思います。
実務者研修を取得するのに当時は10万円くらい掛ったため、二の足を踏む人は多かったのではないのかなと思います。
実際、その年の受験者は大幅減だったと話題になっていました。
私は初めての受験で無事合格し、介護福祉士を取得しました。
その時は漠然と「次の資格はケアマネジャー」だと思っていました。
社内異動、デイからグループホームへ。
デイサービスの面接時、介護福祉士がないと正社員にはなれないと言われ、フルタイムパートとして入社しました。
3年が経ち、介護福祉士を取得したが正社員にはしてもらえませんでした。
会社の経営悪化と言われました。
その頃、会社は新しい介護サービス事業所をいくつか立ち上げたり買い取ったりしていました。
介護福祉士取得後数年、フルタイムパートとして働いていたのですが、ある時社内の他の事業所が人手不足に陥りました。
その時「正社員にしてあげるから他に手伝いに行ってくれ」と言われたのです。
デイサービスに元からいた正社員から異動すべきではないのか、と社内(主にパートさん)から反発が出ましたが、私はこれを「デイ以外を勉強できるいい機会」と捉え、小規模多機能ホームへ出向、デイに戻ったあと、今度はグループホームへ出向となりました。
人生初めての正社員でしたが、仕事内容は特に変わらず。
グループホームで受けたパワハラで自殺も考えた。
グループホーム出向後、施設長に気に入られて楽しく仕事をしていました。
なので、デイに戻ってほしいと言われても「そのまま異動はかないませんか?」とお願いし、人手不足もあった為、グループホームで正社員となりました。
初めは夜勤免除で働いていましたが、気に入ってくれていた施設長が段々とおかしくなり、風向きが変わりました。
その施設長、仮にMとしますが、M施設長は気に入らない職員を人前で叱責し、シフトを大幅に変更します。
気に入った職員を日勤で囲み、気に入らない職員を夜勤に追いやるやり方でした。
異動直後から、朝のミーティングで叱責するM施設長を見ていたので、機嫌を損ねるようなこと(ようは仕事の要領が悪い人が怒られていると見えた)をしないように注意して仕事をしていました。
しかし、何が逆鱗に触れたのかわからないが、ある時からパワハラが自分に向き始めたのです。
・夜勤シフト増
・研修会への参加禁止(「貴方みたいな人が出ると迷惑」と言われた)
・「泣いて訴えるなんて大人じゃない」
・挨拶無視
一時は自殺を考えるほど憔悴しきり、本部に訴えたりしていましたが改善はされませんでした。
どうして退職しなかったかと聞かれると、周りの職員が「あれはおかしい、ここで辞めてはいけない、みんなで戦おう」と味方してくれる人が多かったからです。
パワハラ相手が変わった。そして逆襲。
数か月もすると、M施設長のターゲットが主任に移りました。
それまでは目を吊り上げ叱責していたM施設長が、前のようににこやかに挨拶をするようになったのです。
しかし、M施設長不信になっていた私は「あの笑顔に騙されないぞ」と心に誓い、淡々と仕事をこなしていました。
そして、ターゲットにされていた主任を中心として、今までパワハラを受けていた職員も一致団結し、社長へ嘆願しM施設長が退職することになりました。
新施設長と退職。
M施設長が去り、新施設長(K施設長とします)がやってきました。
K施設長は元々このグループホームを立ち上げた人で、紆余曲折あり別の仕事をしていたところ、グループホーム職員から打診を受けて戻ってきたという経緯がありました。
お互い腹の探り合いから始まりましたが、K施設長と元々一緒に働いていた職員もいたので、そこまで変な人ではないのかと思っていました。
しかし、これが間違いだった。
K施設長はバリバリ看護師の考え方で、今までM施設長に教わった考え方とほぼ逆を行く意見だったのです。
私がこれについていけなくなり、反発もしたくなかったので、退職を決めました。
ただ、円満に退職するためには「妊娠しましたぁ~」って言うのがいいのかなと考えましたが、妊娠は望んでいなかったので「資格を取ったので、それを生かした仕事がしたい」という方向にもっていこうと決意し、ケアマネ試験を受けました。
無事に合格し、辞めさせてもらえない雰囲気があったけど、なんとか退職することが出来ました。
こうやって書くととても邪な理由に見えますが、私のケアマネを目指す理由はもっと他にあるので、また別の記事で書きたいと思います。
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