![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/165597795/rectangle_large_type_2_c58490e8e08829ebd384c8f5c4e3fa8a.jpeg?width=1200)
秘湯のミステリーは何処に
まえがき
秘湯とは人に知られない温泉をいうが、その名は馳せてしまい訪れる人が多い。
私においては、「ひとう」という名に、ミステリアスさを感じ惹きつけられる。
秘湯温泉は山の麓に位置し、宿回りの景観と湯質の良さが、社会のなかで疲弊した心身を回復させてくれる。
人衆の坩堝に足掻きながら、鬱々した人生を送っている私たちにとって、自然の中に身を委ねることは、カタルシス効果を得る。
1
都会に住む息子は、手術の後遺症と会社組織の不本意から、退職して事業を起こした。一人会社とは、営業や実務などの仕事も行わなければならない。委託活用することもあるが、煩雑とクライアントとの距離感や、信頼度が薄れることを危惧し、単独完結とする。そのためプライバシーは無きに等しい。いつでも連絡が取れ、効率的な商談が出来る態勢を取らなければならない。
だが、「責任は誰でもなく自分だ」という、腹を括る明解さが一人事業にはある。思い入れした仕事がゼロとなっても、失意している暇がない。時間の無駄と、わが身にムチを振りモチベーションを上げている。
小さい会社といえども、AIを駆使しデータを活用しながら、競合他社と肩を並べてはいる。ディテールを要求される仕事は、アナログ的活用で功を成すことが多いが、消耗するエネルギーは大きい。
近頃の息子からの電話は、ノスタルジックな話が多くなっていた。おそらく疲れの蓄積と、精神の安らぎを渇望しているがゆえと、暗に感じられた。さて、どうすればいいか考えた結果、しばし仕事や家庭から離れ、心を自然回帰させることがベターと思えた。
そこで彼の誕生日プレゼントと称して、晩秋と初春のいずれの時期に、一泊の秘湯温泉に連れ出すこととした。
彼は雪景色を見たがるが秘湯地は閉鎖されている。休業が解かれる、早春と閉鎖前の晩秋は、雪の危うさが無きにしも非ずだが、秘湯と対峙する満喫感はあるであろう。
2
私は、気儘な一人旅を目論んでいた矢先に、プロローグのない病気に襲われ、何度か手術をする羽目になってしまった。病後は当然、体力の衰えが顕かであった。それにも関わらず、何かをやらなければならない、思考意欲だけは萎えず、以前の無謀さで行動する。
家族は、病気の発症を懸念して行動規制を、口にするようになった。
秘湯の旅は、不治の後遺症に悩む息子への労わりと、自然のなかでリフレッシュさせたいがための、「養生」と称する子ども孝行である。
また息子にとっては、病後の母の「お目付け役」としての名目が立ち、互いに役割の相互性が成り立つ旅となった。
いずれにしても障害を抱えたこの二人、無理な旅にはならないだろうと、周囲の懸念は払しょくされた。
3
こうして私たち親子は秘湯温泉を目指して車を走らせていた。
目的地の滑川温泉は、標高850mに位置し、吾妻連峰東大巓(1927m)に源を発する、前川上流の、深山にある木造建築の館である。
寛保二年(1742)、大沢の郷士が、川を渡ろうとして足を滑らせ、倒れた際に温かい石に触れ、温泉を発見したしたことから、滑川温泉の名がついたと伝えられている。
古い湯治場のある温泉は、概ね何らかの形で、信仰と結びつき、その場に行くと霊妙な空気を感じることがある。
そのためか、起きる出来事を私の思考は、ミステリアスに捉え探求するが、早とちりの性格のため、結末をコミックにしてしまう。
4
山道を走らせていると、突然数匹の猿が現れた。
先頭の猿は、自分を誇示しながら悠然と横切り、続く猿は立ち止まって、訝し気な目を向け行く。母猿は、縋りつく子猿を守るかのようにその場を小走りした。小群れの猿たちの、それぞれのポジションや、性格を覗いたような気がした。猿たちは、繁る草木を縫いながら、森の奥へと消えて行った。
たったそれだけの出会いで、猿から山の懐に入る、通行許可を得た気分になった。
鹿や猪、熊さえも活動の痕跡があれば、自然が守られている確認となる。
近年、「害獣」とされた山の動物たちが、駆除されるニュースを多く観る。農作物の被害は、生産者の死活問題となるため、致し方のないことと思いはする。
温暖化による生態の変化(冬眠をしない動物)など、あらゆる問題が内包している。
だが、害獣にした原因は、私たち人間にもあることを考えなければならない。
人間は山奥に入り込み、過剰な山菜取りをして、動物たちの「食」を脅かしてはいないか。山に食べ残しを散乱させて、他の味を覚えさせてしまってはいないか。限りない山の開発により、動物たちの居住を狭めて行ってはいないか。浅学な私が私なりに戒めていた。
5
「秘湯を守る会」は、「温泉の利用と管理に配慮し、自然環境の保全に取り組む宿の集団であり、温泉の枯渇を防ぎ、日本の原風景や自然環境を守り続けることである」を、理念とする。
私たちの温泉利用が、自らの生命の回復となり、原風景や自然環境保護の支援と、なり得るならば、訪れるものと迎えるものの、意志が合致することになる。
高水準な文化生活を甘受している私たちは、自然環境の破壊に、加担しているのではないかと考えることがある。
原風景を見て、心が安らぐのは、急速な社会の変動に、疲弊している表われと思う。
また秘湯は、自然の恵みの恩恵を受けることで、生き物たちとの共存共生の必要性を、再認識する所でもある。
6
山道は曲がりくねり、車一台がやっと通れる道幅の狭さが、かなりの労力を必要とさせた。
対向車の鉢合わせがあれば、上り優先の常識はさて置き、車を山沿い左側にギリギリに寄せるか、道幅の広い所までバックするかの、イニチアティブが取られる。
その行動によって、人間性と運転スキルの自信度を見ることにもなる。
山は時雨が降り始め、景色は溌墨絵のように、朦朧として来た。ワイパーが垣間見せる視界に眼を凝らし、ハンドルを握る息子は無口になっていた。
そんな息子の緊張感をよそ眼に、私は勾配の高い、鬱蒼とした深い森を眺めていた。
「ここから車が転げ落ちたらどうなるだろうか?見つからずにいれば、死体は腐蝕し、樹木の土に還るだろうな。私が日頃、口にしている自然葬とは、このようなものではあるまいか。だが死んでいなければ、最悪にも自分の朽ちて行く姿を、見ることとなる。
その時、脳裏をよぎるのは、生きようとする執念か、嘆き悲しんで諦めの心境となるか、それとも達観し、穏やかな心で時を待つか。
妄想から現実に戻った私は、助手席がサポートすべき責任を呼び起こした。何よりも、息子を「お目付け役」のまま、あの世に同行させるわけには行かない。
あの世との感情が交差するのも、自然と対峙している所以なのかもしれない。
雨降る山には、異世界に引きずり込む霊気が漂い、草木の揺れまでも謎めいてくる。
7
ふと、1994年にこの吾妻連峰山地で起きた、遭難事故を思い出した。
深田久弥が「日本百名山」の本の中で、「この吾妻連峰といわれる山群は、一頭地を抜いた代表的な峰がない。それでいて1900m以上の高さを持つ峰が、いずれもずんぐりとした形で、著名な目印がないため、遠くからこの山群を望んで、どの峰か識別しがたいほどである」 「この厖大な山群には、渓谷、高原、沼、山林あり、しかも山麓を巡って、あちこちに温泉が湧いている。山群のどの山へ登るにしても、その出発点はたいてい温泉である。そのなかで、吾妻山はスキー場として繁栄していた」と、記していた。
吾妻連峰での遭難事故は、スキーパーテイ7名のうち5名が死亡した悲惨な事故であった。
山行2日目に、家形山避難小屋(1770m)から滑川温泉へ下って、宿泊する予定だった山スキー7名一行は、温泉に向かう「霧の平」の分岐点(1300)の標柱を見失い彷徨したあげく、判断ミスによるタイムロスの発生が、原因であったという。
メンバーの2名は、途中動けなくなった5名を残し、救助を求めて滑川温泉に辿り着き、救助隊が現場に向かったが、5人はすでに凍死していたという,痛ましい結末を迎えてしまった。
登山をしない私ではあったが、山への畏怖の念と、自然に対しては十分な慎重さを持つことの教訓を残した。
8
宿屋は、駐車場から少し歩いた山間部に建っていた。
200余年にわたり湯守している、古い木造りの建物であり、そのさまはタイムスリップしたようで、素朴な佇まいはいかにも秘境を感じさせた。
宿のすぐ脇を前川が流れ、赤茶けた一枚の巨岩が、水を満々と落下させていた。
通された部屋は、窓からの景色が山麓になるので、谷川に臨み川音があたり一面に、響き渡っていた。点在する源泉かけ流し湯の露天風呂は、季節を肌で感じられる。
宿の裏には、大滝の展望台に続く道への、つり橋が掛かっていた。つり橋の下を流れる水は、川底の岩肌を磨き上げ、なめらかな輝きを見せていた。その景色は、さながら初秋の日本画の一幅を山に掛けたようであった。
館内もすべて、木造りの焦げ茶の色で統一され、橙色の照明は、懐かしい明かりを灯していた。昭和初めを彷彿させる趣は、幻想の世界を醸し出していた。
並列の廊下は長く、行き着く先が露天風呂の出入り口となる。露天は岩風呂、と檜風呂、内風呂の3つが混浴となっているが、時間割によって女性専用となる。女性専用の半月の内風呂もある。
9
風呂に向かう、薄暗く長い廊下を歩いて行くうちに、霊妙な気分になって来るから不思議である。
降り続く雨の中、女性専用時間帯となった檜風呂に向かった。用意された長靴と傘を差し、自然石を並べた踏み石を歩いて行った。
雨は灯りを霞め、おぼつかない足取りで、ようやく小屋の戸を開けた。
湯船に浸ると、山影の黒さが雑念を吸い込むようであった。すべてがゆったりとした気分は、スピチュアルな感覚がそうさせているのか。心の免疫までもが、高まるようであった。
10
次に入る風呂は、女性用半月型の内風呂である。風呂を、はしごしたため温まりは早く、のぼせぬうちに上がった。
浴衣に手を掛け、何気なく足元を見ると、何やら黒いものが動いている。目を凝らすとその生き物は、太さ15mm、長さ15cmほどの、子どもの?蛇であった。
人間に疎まれる蛇の姿に、憐れみを持ちながらも、怖さはどうにもならず、抜け殻を見ただけで飛び上がる私だった。
だが、この時ばかりは子蛇を慈しむ目で見ていた。山の懐に入れば、さまざまな生き物との出会いがあり、それが秘湯の醍醐味であるはず。「蛇が怖い、虫が嫌だ」などと騒ぎ立てる了見は、秘湯への冒涜と心得ていた。
源泉のかけ流しの湯に、俗念を洗い流した私は、心身とも清廉になっているはずだ。その心境は、まさに「山川草木悉有仏性」。
やがて子蛇は板壁を這い上って見えなくなった。ほっとしたのも、つかの間、あの子蛇が壁から剥がれるように落下し、足元の床でまた蠢いていた。急に俗人に戻ってしまった私は、浴衣の紐を引きずりながら逃げ出してしまった。
11
部屋でテレビを観ていると、室内の照明がチカチカと点滅し、テレビも消えた。廊下に出て見ると、館内すべての照明が点滅しているではないか。その光景は、いままでの幻想的な館内を、異様な雰囲気に変えていた。点滅は怪奇現象のように、いつまでも続いていた。泊り客はいたはずだが、人の気配がなく。静けさだけが存在しているかのようだ。
私は部屋に戻り、恐る恐る内線電話をかけた。
「はい!」と出たのは人間の声、ほっとした。「自家水力発電のため一部、不具合が出てしまいました。復旧作業をしていますので、もう少しお待ちください」とのことだ。
舘の照明が、唯一の灯りであるこの山で、点滅も消えてしまい、雨と川の音だけの闇の中で、夜明けを待つことになりはしないか、不安になった。だがその不安は、「この現象体験は、怪異小説のネタになるかもしれない」と思い始め、気持ちが浮き立ってきた。
その時、私の戯れ心を阻止かのように電気が付いた。
秘湯温泉F屋の電力は、横を流れる川の水量が発電させている。川の大きさからも電力量は、そう多くはないだろう。廊下の壁に、自家水力発電のため、停電が起きる了承の紙面が、貼られてあった。
電化製品を過分に揃え、際限なく電力を消費している今の生活を、考えさせた体験であった。
息子が露天風呂から戻り外の様子を聞くと、「やぁ!点滅していたね。家でも電気を消して入浴しているから、何とも思わなかったし、かえって露天風呂雰囲気が満喫出来たよ」と満足気であった。やはり私の子どもである。
12
翌朝、いつものように4時に目を覚ました私は、二度寝も出来ず布団の中で入浴開始の5時を待った。露天の岩風呂に女性が入れる時間帯である。
岩風呂に行くには、登山道のような細い坂道30m程上らなければなかった。小屋で浴衣を脱ぎ風呂に向うその時、森の中の池に目を奪われた。池は緑青(ろくしょう)色の不思議な水を湛えていた。薄明の森は、その池を従えて神秘な雰囲気を、作り上げていた。私はその風景に魅せられ、池に近づいて行った。池と見紛ったのは3畳ほど野湯であった。
硫黄を含んだ濁りの中で、深緑色の水草と藻が、色を呈していたのである。足を入れると泥地のように、ずぶずぶと沈んでいく。足に藻のぬめりと長い水草が絡みつき、底を感じない。「もしや底なし沼に入ってしまったか」と、恐怖を覚えたが、膝上の深さで足底が落ち着いた
この情景は、ジョン・エヴァレット・ミレーの名画、「オフィーリア」の舞台のように妖しかった。
樹木希林が、この絵の「オフィーリア」を演じている広告があったが、まさに私にも「オフィーリア」を演じる舞台がここにある。
そんな想像を掻きたてるほど、青緑色の景観は美しく幻想的であった。
迂闊にも下半身を入れてしまった私は、湯の温かさと、絵の幻想に導かれるように体を沈めていた。
水草に囲まれて温まっていると、蛙の仰向けの死骸がどこからともなく現れた。さすがの私も「この湯は感染の危険あり」と、急いで上がろうとした。だが、水草に足を取られ手をつく石もなく、近くの草を引き寄せ這い上がった。
感染の危険を孕む軽率な行動だったと、人並みの恥を感じながら、そそくさと岩風呂に行き、体を丁寧に洗い湯船に飛び込んだ。
野湯に魅惑された、おバカ行動ではあるが、私ならではの冒険と頬を緩めてしまった。
13
その足で館内の「女湯」の暖簾をくぐった。誰もいない浴室のドアを開けると、硫黄の匂いが鼻を突いた。湯船には、「湯の花」と呼ばれる硫黄の白い粒が無数に浮いていた。
「これぞ温泉の極め!」とばかり、どっぷり体を沈め句作を考え始めた。すると戸が開き、女性従業員さんが入って来た。挨拶して何か話かけたがすぐに出て行った。
間髪を入れず、中年の男性が入って来て「お早うございます」と挨拶をした。男性の思わぬ出現に、おどおどしながらも、上ずった声で「おはようございます!」と挨拶を返した。意外な事態に、「バシャバシャ」と慌てふためいて、風呂から出て行った。突然の男性の裸にどうしてよいやら、我が裸体を見られまいと、電光石火のごとく立ち去った。冷めきれぬ恥じらいを抱えながら、廊下を小走りしていた。
すると、浴室に顔を出した従業員さんが声をかけて来た。「お湯はいかがでしたか?今朝の岩風呂は、最近になく湯の花が多かったですね。湯があんなに白く濁ることは珍しく、お客さんは湯質の良い風呂に入れましたね」
私も「ええ、とっても温まりました。ほら、硫黄の匂いがまだプンプンしています。でもびっくりしました。突然、男性が入って来たんですよ」と話をすると、「私は奥さんが混浴風呂に入るのを見たので、男性が後で入って行くことを、お知らせしたんですよ」と、言うではないか。「そうだったの、ごめんなさい。あなたが知らせてくれた時、自分の世界に入り込んでいたものだから、分からなかったわ。そういえば、浴室の入り口が二つあったわ。湯船が一つしかないのだから、顔合わせすることにはなるわよね。人生経験は長いけど、混浴経験がないものだから。大体において、浴室に入った時、何故出入り口が二つあるのだろうと、不思議に思わないこと自体不思議よね」。自虐的言い回しに矛盾があった。
「従業員さん昨夜ね、内風呂の脱衣場に小さな蛇が居たのよ。私は蛇がとても苦手だけど、秘湯に来て子蛇程度で騒いだら、迷惑をかけると思い、静かにそっと出て行ったんです。それなのに混浴での私は、ストカーでもされたかのような、慌て方をしちゃった。入って来た男性も、老女のあまりの慌て方に、複雑な気持ちだったでしょうね。それとも湯気で、若い女性に見えたかな?」
話を聞いていた従業員さん、蛇の話には何ら反応がなかったのに、混浴風呂の失態談には楽しそうに笑っていた。秘湯に働く方は、蛇の1匹や2匹出てきても、動じることはないだろうと見受けられた。
14
チェックアウトを済ませ、従業員さんが靴を並べて置いてくれた。出してくれた靴に足を入れると、どうも違和感がある。私のスニカーも紐黒靴であることは間違いない。よくよく見て「こんなにくたびれた靴だったかな?ここは破けているし」ぶつぶつ言いながら何度も履いていた。その挙句、「この靴、私のですか?靴はどこから出したのですか」と、従業員さんに靴置き場を尋ねた。そこに私の靴があるではないか。やっと自分の靴を履くことが出来立ち上がると、険しい顔をした婦人が「あなた、さっきから私の靴を履いているけど!」と詰問して来た。「すみません!出してくれたのが間違っていたようで」。誰かに、責任転嫁したような謝り方の私。
この女性が怒るのは、当然のことである。私は「破けている」だの、「くたびれている」だのと、さんざんな言葉を吐きながら、靴を何度も履いていたのだから。本当に失礼極まりない態度であった。それを見ていた息子が、「おふくろの靴はベロの所にマークがあるじゃないか!違いがわかるよ」と呆れた様子。
私は日頃から、自分の持ち物に頓着がなく、時々こんな失敗をしでかす。
15
せっかくだから、滑川の大滝を見に行こうよ」と息子にせがんだ。「その足で歩けるかい?腰だって痛いのだろう」。「体をかばっていたら、何にも出来なくなってしまう。チャレンジして無理だったら戻ればいいし。」と私は頑張る。息子は心配を残しながらも、豪気な母に従わざるを得なかった。
受付の男性に「ここから大滝までどのくらい時間がかかります?」と聞く。「歩きの速い人は10分、普通の人は20分、足の遅い人は30分ですかね。距離は1㎞ですよ」と、客に聞かれるだろうパターンを、まくし立て答えた。
旅館を出ると息子に、「あの答え方、いいね!一人の、たった一つの質問で、聞かれるすべてを登る人に知らせている。効率の良いしゃべり方をしているよね。でも私は、規格外の遅い歩き方だから40分かかるね」
大滝展望台に通じる、唯一の道であるつり橋は、20mの長さがある。森の中に誘うように架かっているつり橋は、否が応うでもスリリングな気持にさせる。
橋を渡り終えると、一人幅しかない細い登山道に出た。勾配の急な山道の片側は谷川である。曲がりくねった道には、岩をよじ登らなければならない箇所があった。私は自分が登山者かと、錯覚しそうな険しさがあった。その上、昨日の雨で濡れた足元は、落ち葉を巻き込んでよけい滑りやすくなっていた。
息子は登る私の後ろ姿を、片時も目を離さず声掛けしていた。私は右手に草を絡ませながら、慎重に登って行った。
普段ふらつきと腰痛のある体だが、苦痛は薄れていた。「展望台に行くべし」の、ミッションを受けたかのように、必死であった。その時、断念して引き返すという選択肢は消えていた。
途中、降りて来る中年のグループとすれ違った。メンバーの中年の女性の後ろ姿を見ながら、歳は上であろう私は「私にだって出来る!」と、俄然張り切りだした。
だが登れども一向に、展望台らしきものが見えない。宿の人が1㎞の距離と言っていたが、「つづら折り」の山道が、距離の認識をマヒさせているのかもしれない。
ひたすら登り続けると、耳に連れだった滝の音が、爆音になって響きわたって来た。ようやく明るい空が見えた。
着いた所は看板も標識もない、眺望だけの小さな展望台であった。
爆音の方角を見ると、遥か遠くに森を割って流れる大滝の姿があった。その景色は、天から舞い落ちた白布が、山に掛けられたような壮麗さであった。これほどのスケールの大きい滝は比類がない。爆音に比する水の流動は、白く、そのさまは神社の「紙垂れ」のような、山を飾る神々しさがあった。
おそらく大滝が遥か遠くに位置し、人間を寄せ付けない威厳と、観爆することの困難さが、神聖に思えたのかもしれない。
無の心境とはこういうことなのか、ただ大滝を眺めていた。
だが、その時間は5分ほどであろうか。「さて、戻るとしょう」と、息子を促すとくるりと踵を返し、登って来た道を下り出した。
大滝を見足りない息子は、「苦労して登って来たのだから、もう少し景色を楽しめばいいのに。いつもこうなんだから。おふくろは達成することが目標でなく、達成させるため、苦労する行程に、満足感を持つ人だから。
まあ、おふくろらしいけどね」
確かに私は、何においても達成するまでの行程がやりがいであって、達成の喜びに浸る時間は短い。
あとがき
秘湯にはミステリアスな舞台が揃っている。その舞台をミステリアスと感じるのは、私の一人芝居かしれない。その芝居がどうしても、コミカルになってしまうことは否めない。
シェイクスピアの、ある喜劇の中で「この世は舞台、人は皆役者」のセリフがある。
この言葉を借りれば、自分の人生の主役は自分自身であり、舞台の上演は一回限り、ならば自分が楽しいと思う劇を、自由に作り上げても、よいのではないだろうか。
ミステリーを追う高揚感は、楽しいものである。
さて、次の旅はどうなることやら。
いいなと思ったら応援しよう!
![藤田 凛](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/23616307/profile_c34d84a0cf904d3105116b5b10e9c084.jpg?width=600&crop=1:1,smart)