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映画感想|『人間失格』蜷川実花。太宰も蜷川も好かんのです。

ここで書きたいことは、映画『人間失格』の感想であり、太宰も蜷川実花も好かん理由の考察である。

太宰ファン、蜷川ファンの方は読み進めないことをお勧めする。
と言っても、こき下ろしたい訳ではない。ぶつけたい罵詈雑言などない。
彼らの芸術家としての振り切り方は尊敬できる。自分はここまで振り切れないからだ。
だから、書きたいことは、なぜ太宰・蜷川を好かないと感じたか?から、自分は何を好いているのか?何に美学を感じているのか?についての考察である。

まず、好かないポイントをあげる。
・自堕落な生活(酒・タバコ・女)
・自他の人生よりも、芸術を上位に置く
・人間の業を美化する極彩色

ざっとまとめるとこれだ。

作中の太宰は、堕ちて書く。書くためには堕ちる。
書くためなら、不道徳も不健康も不幸もとる。
不倫を肯定する「芸術のための恋」という言葉すらある。

思い出したのは、
オルダス・ハクスリーが「すばらしき新世界」の中で語った「幸福と芸術はトレードオフ」という指摘を、体現するような生き様だった。
芸術のために、健康・安定・幸福を捨てている
太宰にとっては、あの日々が幸福だ、という解釈もあるだろう。
しかし、私は「健全な身体に健全な精神があれかし (Anima Sana In corpore Sano)」を追求したい人だし、高野山金剛峯寺で授戒し、菩薩十戒の教えを良いなと思っている。その視点から見ると、太宰の姿は理想的には見えず、幸福そうに見えない。菩薩十戒を破りまくっているように見える。血を吐いてまで書く、のは正気の沙汰ではない。芸術のために全てを捨てたといえば聞こえはいいが、そのくらい芸術に呑まれた、とも言えそうだ。
現代に太宰が生まれていたら、不倫系YouTuberになって、その生き様を世界配信し、カルト的な人気を誇り、最後はファンの子と入水の生配信でもしたのだろうか。

そして、それらの不健康さを美化する、蜷川実花の世界観である。
ヘルタースケルターの時から好かんと思っていたが、やはり好かん。
このような、何かに取り憑かれた人を美の対象として見ているような、それを鮮血のような極彩色を使うことで、艶やかなものに仕立てているように、感じられる。
私は、このような極彩色よりは、水墨画の山水画の方に美を感じる。
精神がスッと磨かれる感じがするからだ。
あの極彩色は、人間の業からできている。避けたい。私にとっての赤信号だ。

まとめると、この作品は私にとって反面教師だ。
私が大切なことを教えてくれた。

まとめると、私が大切なのは、

健全な肉体に、健全な精神があれかし。
健全な精神に、健全な芸術よあれかし。

である。

言い換えれば、私が目指すのは、
健全な土壌から湧き出る泉のように、
健全な心身から湧き出る芸術である。

ピュアで、透き通っていて、水のように万人に染み渡る。
そして中毒者は出ない。

Be water my friend.

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Unsplashengin akyurtが撮影した写真

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