あまだれ

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最近の記事

書評|『傲慢と善良』辻村美月|研鑽と決断

2024年、一番グサグサくる本であった。 一文一文が、ゴッドハンド整体師のように心の急所をつく。いてて。 自分が結婚するためには、変わらなければ、と思った。 「傲慢と善良」の逆は何か? 私の結論は「研鑽と決断」である。 まず、この作中における「傲慢と善良」とは、現代で結婚できない要因である。「縁結び 小野里」という、戦略コンサルタントも裸足で逃げ出す洞察力を持った老婦人キャラが、現代の婚活市場を喝破したものだ。 その後のセリフも、達観の極みである。 「嫌われる勇気」の

    • 映画感想|『人間失格』蜷川実花。太宰も蜷川も好かんのです。

      ここで書きたいことは、映画『人間失格』の感想であり、太宰も蜷川実花も好かん理由の考察である。 太宰ファン、蜷川ファンの方は読み進めないことをお勧めする。 と言っても、こき下ろしたい訳ではない。ぶつけたい罵詈雑言などない。 彼らの芸術家としての振り切り方は尊敬できる。自分はここまで振り切れないからだ。 だから、書きたいことは、なぜ太宰・蜷川を好かないと感じたか?から、自分は何を好いているのか?何に美学を感じているのか?についての考察である。 まず、好かないポイントをあげる。

      • 書評|ケンリュウ「文字占い師」で膝が割れた

        ケンリュウの短編集「紙の動物園」収録の「文字占い師」を読んだら、膝が割れるような感覚に陥った。 そのくらい、ケンリュウの言葉には、芯に響く力がある。 例えるならば、井上尚弥のボディブローのような。 誰でもパンチを打てるが、井上のような重いパンチは打てない。 同じように、誰しもが言葉を使えるが、ケンリュウのような重さのある言葉は書けない。 なぜ、ケンリュウの言葉は芯に響くのか?(それも、和訳という16オンスグローブ越しなのに!)ということを考えたい。 日本語版の装画が

        • 井上尚弥vsドヘニー。井上の肌艶にも仰天。

          井上尚弥、強い。 一部のスキもなく見えた。 37歳であのモンスターに挑むドヘニー。勇気すごい。 30代後半でも、世界一のモンスターに挑めるようになる。 この事実はすごい。 もうアラファーだから。 という理由で、挑戦をあきらめていないか? それを突きつけてくるドヘニーの勇姿であった。 ただ、今回一番びっくりしたのは、井上尚弥の肌艶である。 ピッカピカ バッキバキ 美容家の石井美保もびっくりの肌艶。 あれはどうなっているのか? どうやら、スキンケアをまずちゃんと

          ラブ トランジットseason2|仕掛け人・アリエシュンスケとは

          ラブ トランジット2を見ている。 最新6話まで見終えた。 推しはスンギ。ピュアであったかいから。 毎度、primeビデオだと自動スキップされないクレジットロールを見て、気になっていることがある。 最初に出るクレジットの クリエイティブディレクター アリエシュンスケ の文字だ。 カタカナしか並んでいない。 何者なのか。カタカナ語を使いスンギな人なのか。 それか、カツセマサヒコ・インスパイア系なのか。 まず驚くのが、Googleで調べても、wikiもインタビュー記事も出て

          ラブ トランジットseason2|仕掛け人・アリエシュンスケとは

          ラブトラ・シーズン1所感|精神老人になってないか

          LOVE TRANSIT シーズン1を見終えた。 友人の勧めで見始めた。 このコンテンツは、私に次の3つの問い掛けをしてきた。 ①「(私にとって)Xは誰か?」 参加者のXは誰だろう?と予想をしている中で、 自らにも、X(過去最良の恋人)は誰?と問うていた。 ずっと一人が思い浮かんだ。 この想いは、釣りの浮きのようだ。 何度沈めても、ふわっと水面に浮かんでくる。 だから、勝手にXとの復縁を願って見ていた。 ②「"わかっている”安心感  vs  "わかっていく"冒険心」 復縁

          ラブトラ・シーズン1所感|精神老人になってないか

          書評|「紙の動物園」にファンタジーの価値を教わる

          ケン・リュウの短編集、「紙の動物園」である。 大森望さんのSF講座の課題に取り組む中で知った本。 しかし、知らない自分を恥じるほどの名作である。 2011年に発表され、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞の史上初の3冠に輝いているほど、世間的評価があるのに、恥ずかしながら知らなかった。 この3冠情報を抜きにしても、1つ目の短編「紙の動物園」で圧倒された。 短編で、こんなに胸を抉られるとは。 と。 ちなみに、この3つの賞は何なのか、というと、 ヒューゴー賞|SF界の

          書評|「紙の動物園」にファンタジーの価値を教わる

          書評|『成瀬は天下を取りにいく』はアドラーな多動力

          成瀬は天下を取りにいく。 如何にも、令和の時代を現すようなタイトルだ。 最初はてっきり、YouTuberで人気者になる女子中学生の波乱万丈を追いかけるエンタメ作品かと思っていた。 しかし、その様子があるのは、2話までだった。 西武デパート閉店をカウントダウンするテレビ番組に、映り込む。 M-1に応募して、漫才をする。 成瀬の挑戦を、親友の目から眺めた2話。 その後も、同じ調子で、親友から見た成瀬の冒険が続くかと思っていた。 が、3話目以降は、別の人物から見た成瀬

          書評|『成瀬は天下を取りにいく』はアドラーな多動力

          孫正義か高崎卓馬か

          目標の持ち方である。 あなたは人生の目標を立てているだろうか? 私たちは、「大きな目標を持つこと」に美徳を感じている気がする。 「海賊王になる」「火影になる」 週刊少年ジャンプで育った世代は特にそうではないだろうか? ソフトバンクの創業者・孫正義さんは、こう言っている。 私は、この方向でいくと、夢は、「大企業CMOになること」。そして「世界中に届く広告・商品をつくることを指揮すること」である。 これが、私の中の現実的な夢。人に話せる夢だ。 さらに大きな夢は、「悟りを

          孫正義か高崎卓馬か

          マキャベリか愛か。

          『涙の女王』の2周目を見ている。 初めて2周目をしている韓国ドラマだ。 食い入るように見た『梨泰院クラス』でも1回きりだった。 その差はなんだろうか? まず、女優のキムジウォンが美しい。 眉間に皺を寄せたり、凄んだりしたり、毒を吐いたりするが、それでも美しさを感じる。 特に後半の、尖りが丸くなり、精神性が高まったあたりは、とても素敵である。 あとは、テーマが家族愛だから、だろうか。 ギスギスして終わらない。社会階層がなんだろうと、結局は家族愛。家族愛あると、人生の苦楽を

          マキャベリか愛か。

          偉大な経営者を、演じる。

          『経営者になるためのノート』というユニクロ創業者・柳井正さんが書いた本を読んだ。 耳が痛い「経営者はかくあるべし」というメッセージに溢れている。 私が特に耳が痛かったものを紹介しよう。 既に、この記事を閉じたくなるくらい、耳が痛くなっているのではないだろうか。 強豪校の鬼監督に指導されたような感覚を覚える。 (スポーツ強豪校にいたことはないが) 厳しすぎて、『読みたいことを、書けばいい』の田中さんが、もし「経営者になるためのノート』を書くとしたら、きっと「経営者にな

          偉大な経営者を、演じる。

          つかう人が、つくる。

          『読みたいことを、書けばいい』と言う本に、なるほど!となっている。 著者の田中さんの言葉で、特にピンときたもの。 「おすそわけ」の考えなのだと思った。 この著書の冒頭でも「自分ひとりのために、料理をつくって食べたことがあるだろうか」の問いかけから始まる。 自分が美味しいと思う料理を追求して、それを人様にも提供する。 自分が面白いと思う文章を追求して、それを人様にも提供する。 「おすそわけ」である。 似ている話がある。 スマブラの生みの親、桜井政博さんの「監修」の仕事を解

          つかう人が、つくる。

          敗者のゲーム

          『敗者のゲーム』という投資に関する本がある。 チャールズ・エリス氏が1985年に書いた本である。 今なお読み継がれている、時の試練に耐えた本だ。 つまり、ポジショントークというより真実に近いことが書いてあると伺える。 「ゲームの敗者」ではなく「敗者のゲーム」とある。 ここで言う敗者とは、ゲームを開始する前に大体負けるだろう人=「地力がない人」のニュアンスに近いと理解した。 野球で言えば、大谷翔平と私を比べれば、同じ野球をするにしても、大谷翔平は勝者のゲームで、私は敗者のゲ

          敗者のゲーム

          水になれ

          Be Water, My Friend.  ブルース・リーの名言である。 知らない方は、ぜひ、こちらの動画を見てほしい。30秒で終わる。 ちなみに、フルバージョンも見つけた。 12:44から、Be water my friend と言い切った後の、照れくさそうなブルース・リーの可愛い笑顔を見られる。 切り取られた動画だけ見ていたが、このハニカミの笑顔を見て思った。 彼も一人の人間で、私と同じように恥じらいを持つのだと。 とはいえ、この”empty your mind"か

          漱石と芭蕉をもとに、ペンネームを作った。

          ペンネームを考える。 エッセイを書くにあたって、私がどう名乗るか。 本名は明かしたくない。恥ずかしいからだ。また本名を明かすと、体面や本業との利益相反への配慮など、色々な重圧・縛りがかかる。自由が損なわれる。 ここは、自由な心で「事象と心象の交わる文章」を書く場である。 「縛り」や「誓約と制約」によるパワーは、本業で発揮する。 さて、少々脱線した。ペンネームである。 何を取っ掛かりに考えるか。 次の論点を解けば良いだろう。 ・ペンネームの候補は? ・その評価基準は? ・そ

          漱石と芭蕉をもとに、ペンネームを作った。

          エッセイを始める

          エッセイを始める。 なぜか? 何かを書きたいから。 これは、もはや私の生理的欲求の一つと言っていい。 『寄生獣』の中で、田村玲子が語った「地球上の生物はすべて何かしらの”命令”を受けているのだと思う……。私が人間の脳を奪った時、一つの命令がきたぞ。”この種を食い殺せ”だ。」という考えに基けば、 私に来ている命令は「書け」なのだろう。 「書け」という声がする。だから書くのだ。 エッセイであれば、私の興味の赴くままに、心に響いた事象を取り上げて、考察し、さっと文字にでき

          エッセイを始める