見出し画像

分断の解消には「市井の知性」が重要なんじゃないか

なんだか夜中に目が覚めてしまったので、書いておきます。

昭和と平成の違いとか、令和ってどういう時代になるんだろうかと考えているうちに(何を考えていたかはまだ書きたいと思います)、今の分断がどこから始まったんだろうというところに行って、結局、いま必要なのは、専門家の言葉を「市井の人(しせいのひと)」に伝える「通訳」というか「翻訳」というか、「編集者」なんじゃないだろうか、というところに行き着いたんです。

市井って何?

「市井(しせい)」という言葉に行き着いたのは、大衆とか庶民とか一般人とかいう言葉では、なんだか見下している感じとか、突き放している感じがして、分断を強調するだけのような気がするから。

「市民」となると最近では色がついてしまって「プロ市民」なる、よくわからない言葉も生まれていて、「運動」と結びついてしまうから、普通の人を表す言葉がないかなと思った時に思いついたのが「市井の人」でした。

意味を単純化する時には日本語よりも英語のほうが端的に示していることが多いので、英語ではなんていうんだろうと思ってググってみました。

「市井の人」を英語にする場合は、「citizen(市民)」や「common people(一般人)」を使用します。また、「ordinary(一般の・普通の)」や「general(一般的な)」を使った次のような表現も可能です。

ordinaryとかgeneralというよりはcommonの方が、私が示したい「市井」にぴったりかもしれません。大衆というよりは公衆の方が近い感じ。

ある種の思想や利益代表ではなく、満遍なく社会に存在する「非専門家」の集まりといった感じでしょうか。

専門家と非専門家の間で

一方で、誰しもが、何かの専門家であり、何かに属していて、何かを代表しているものです。

でも、それ以外、つまり自分が属している世界以外のことには、非専門家な訳です。

特に、科学的な正当性が重要度を増している現代社会では、科学的なことに対して非専門家が多く、専門家が説明する必要がある場合が増えています。

コロナ禍の中で、その専門家と非専門家が政治によって分断され、利用されているのを見るにつけ、専門家の言葉を伝える役割をする人がいないものかと隔靴掻痒な感じを持っていました。

専門家が直接noteを書いたり、説明をしたりするんですが、やはりわかりにくかったり、説明が足りなかったりすることもあります。それは、専門家は常識だと思っていることが、非専門家には理解不能だったりするからです。

そこで必要なのが、市井の人の中で、専門家の言葉を理解し、説明できる「市井の知性」の存在ではないかというところに行き着いたのです。

「市井の知性」とはリテラシーがある人

科学リテラシーとか情報リテラシーとか、リテラシーという言葉が使われるようになりました。

リテラシー(英: literacy)とは、原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われるようになり(後述)、日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。

一般的には、ある事柄を理解して言葉で説明できること、でしょうか。

ただわかっているだけではなく、誰かに説明したり、何かに利用したりできるところまで達していないといけません。

そのためには、そのある体系に通じているだけではなく、他の体系の言葉に言い換えたりすることができないといけない。つまり、体系間の通訳や翻訳という仕事になります。

専門家は、ある体系の中で、それを突き詰めたり、広げたり、使ったりする人たちです。良くも悪くも、その体系に縛られています。他の体系に繋ぐのが難しい場合が多いです。

しかも、科学が高度化し、社会の専門性が分化している中では、専門家は非常に狭い専門性の中で蛸壷化していると言われます。深いけど狭い。その人たちの話は、隣の分野の専門家にもわかりにくいほど高度化しています。

感染症の専門医の話を、外科の人がわかるかといえば、もう怪しいというのが今の専門家が置かれた状況なんです。

ところが、日本のマスコミは、ある種の専門家に、専門以外のことも専門であるかのように説明できると思わせるような使い方をします。もしくは、専門家にどんな分野のことも、その専門の切り口で説明させます。そうなると、それは、説明の専門家であって、内容の専門家ではないかもしれない。物理学者が医学のことを話すのは、専門ではないけども、科学の専門家という大きな括りで、ある種の人が、専門家呼ばわりされていることも多いのではないか。ということになります。

だから、自称専門家や、マスコミが作った専門家よりも、「市井の知性」が必要なんじゃないかと思うんです。

専門家の話がわかる程度に、ある体系に通じていて、その他の体系にも通じていて、その間をつなぐことができる人。つまりリテラシーを他分野にわたって有していて、でも、専門家に属していない人。市井にあって知性を発揮できる人。それが「市井の知性」です。

知識人とか評論家ではなく、街の物知りみたいな人。

多分、それをテレビでわかりやすく演じているのが池上彰さんではないかと思います。

最近、鼻につきますけどね。

池上さんの次に来る人が必要だなと思います。

しばらく、この「市井の知性」について考えてみたいな思っています。

この記事が参加している募集

サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。