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そろそろ根拠のない自信をなんとかしたい
もう57歳なのにね。
年が開ければすぐ58歳になりますが、何か。
私の良いところでもあり、これまでの人生を切り開いてきた強みでもあり、同時に、度し難くダメなところでもあるのが、「根拠のない自信」です。
いや、根拠のある自信だと本人は思っていたのです。
でも、その根拠が崩れ去るような出来事が続いた、この3年。
自分に自信を持てなくなるというのは怖いですね。子供の頃から人生で自信を持っていなかったことがなかったので気がつきませんでした。多くの人は、こんなふうに自信なさげに生きているのか、それはつらいなあ、と思う日々。
根拠のない自信は、一方では「自己肯定感」というものにつながるので、心理的には大変重要な要素です。私は、子供の頃から親が、この自己肯定感を意識して子供に植え付けようとしてくれていたように感じます。それは、できたことを認めることと、子供が他人と違うことを親が恐れないことです。
母親によれば、私は、2歳くらいから街中で看板という看板を大きな声で読んで歩き、大人の話に首を突っ込んで自分の意見を述べ、ドヤ顔をしている子だったそうです。
これは親からしたらば大変困る状況ではないでしょうか。私の子供がそんなだったら、私は嫌です。
でも、我が母は、ここで自分が怯んでは、この子の将来に関わると思い、「やめなさい」とか「静かにしなさい」とは言わなかった。まあ田舎なので、電車の中とかではないのですが、それでもなかなかの度胸です。
4歳くらいになれば、あまり大きな声で言うのもどうかなと思うようになりますし、妹ができたので、妹に教えるようになり、周りの大人にドヤ顔することはなくなったようです。その代わり、うちの妹は自己肯定感を育てきれずに大人になったように思います。私が潰したんでしょうね。
そんなことを思い出したのは、こんな記事を読んだから。
根拠のある自信は、根拠となる事実がなくなれば消えてしまいます。何かが達成できなかったり、失敗したりすると消えてしまう自信なのです。
一方、根拠のない自信は、予感や信念のようなものです。理由はないけれど、なんかうまくいくような気がする。いいことがあるような気がする。そんな感覚です。
これを育てるには、どうすれば良いか。
大人から見た成功体験を与えるなどの方法ではなく、そのままの子どもを受け入れるという、ある意味で簡単だけれど、実は勇気と根気のいる向き合い方が決め手になると私は感じます。
これがうちの母にはできていたと言うことなんでしょうね。
読める看板は大きな声で読み、読めない字があると大きな声で尋ねる。その繰り返し。街に出るの嫌になりませんか? 母も嫌だったそうです。でも、この子のためにと、積極的に街に出て看板を読ませた。うちは貧しくて本を買う余力がなかったから。
小学校1年生になった時に、第1回配本分だけ入金して、第2回配本分から払えなかったので4巻だったかしかない少年少女世界の文学と、入学祝いにもらった百科事典が私の愛読書でした。
小学校5年の時には一人でバスに乗っても良くなったので市立図書館の本を借りて読むようになりましたが、それまでは、繰り返し、その本たちを読んでました。
考えてみると、そう言う貧困家庭の子供でも国立大学に行けた時代なんですよね。今は、どうなんでしょう。入学金も授業料も奨学金も育英会も、みんな上がって、給料だけ上がらないって感じじゃないんでしょうか。
話が脱線してしまった。
まあ、自己肯定感が強すぎても、周りに迷惑なだけな場合もありますし、自己肯定感がなくて「生きづらい」のも大変です。
検索するとどっちも出てきます。でも、自信はあった方がいいです。
バランス良く生きられるといいんですがね。
何にしても、この年になっても「根拠がない」と言うのは問題です。自信が持てる根拠を作れるようになればいいわけで、そのために本を読んだり、宿題を考えたり、学び直しているわけです。
根拠のない自信と打とうとするたびに「今後のない地震」とミスタイプして震えております。
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