仮説を持って本を読むと、次の仮説がやってくる
これまでにも読んだ本の感想をいくつか書いています。
そのうち、読み方というか、読む際の心構えが変わってきています。
最初は、この記事に書いたイベントの起こしを読んだからでした。
仮説がない質問をしない、漫然と生きない、というようなことを書いてますが、これが心に引っ掛かったわけです。
それで、この本を読むときに仮説を立てたと書いてます。
この頃から、本を読むにあたって、仮説を持ってから読むようになったんです。
こちらの本を読んだ頃は、そんな仮説を持っていなかったんですが、それでも、この方がどんなことを書いたんだろう、と想像しながら読み始めてはいますよね。仮説というよりは期待ですね。
そして、この本を読んだときは、「勇気」という言葉に対する仮説を持って、「老いる勇気」ってナンジャと思いながら読んでます。
その結果、今は、「嫌われる勇気」を今更ながら読んでます。
まだ、感想をかけるところまで進んでないんですが、それでも、やはり「勇気」ですよね問題は。そして「嫌われる」を持ってきた理由とか。
仮説を持ってから本を読み始めるというのは、小説だとかフィクションには向いていません。ノンフィクションやビジネス書、いわば「何かについて書いた本」に対して、その「何か」を想像しながら、それはこういう定義ではないか、という自分なりの考えを持ってから読むということです。
例えば、この本の場合、ノウハウ以上に「思想」を期待して読みます。
どういうことを意識して、この仕組みを開発したか、という点について、仮説を持って、それを検証しつつ読むわけですね。
また、こういう本だと、言葉の定義について仮説を持つわけです。
その上で、思いもしなかったことに出会うと嬉しい。
この本だとアウトサイダーアートについて再発見することができました。
さらに、障害者と高齢者の連続性というようなヒントを得ることができました。
そして、そういう気が付いた事をnoteに書いてみる。
それで考えがまとまったり、深まったり、とっ散らかったり、色々することで、自分の中にまた仮説を持ってみる。
そして、次の本に向かう。
今年は、そんなことを得ることができた年だったなあ、と思います。
これも編集教室に通い始めたからこそ、気がついたことでした。
人生はいくつからでも学ぶことができるものですね。