うつ病の私が見ている世界 第12話
これは、統合失調症の薬ではないだろうか。
情報過多の現代社会、なんだって調べられてしまう。
今回の診察で、処方される薬が一新した。
いつもの薬局の薬剤師さんが、
「いつかご自身に合うお薬が見つかると良いですね」
と言って微笑んだ。
リスパダールOD錠1mg、レキソタン錠2 2mg、ベルソムラ錠10mg。
おい、ワイパックス、お前、どこ行っちゃったんだ。
それぞれについて検索してみると、
リスパダールOD錠
「不安、緊張などの症状を鎮め、精神の不安定な状態を抑え、気力や関心の持てない状態を改善させる。通常、統合失調症、小児の場合、自閉スペクトラム症に伴う易刺激性の治療に用いる」
レキソタン錠2
「不安、緊張、抑うつ、脅迫、恐怖や睡眠酒害の改善。通常、神経症、うつ病、心身症の治療や麻酔前投与に用いる」
ベルソムラ錠
「寝つきを良くし、眠りを維持する働きがある。通常、不眠症の治療に用いる」
私はどこに向かっているのだろう。
喫茶店の黒いフラワーロックたちも、さぞ悲しげに揺れていることだろう。
何より、副反応に『眠気』がこれでもかと明記されており、喫茶店のオープン仕事を任されている身としては、一抹の不安が、いや、二抹、三抹の不安がある。
雨の降る中、とぼとぼと歩いていると、
「内海さああああああああああああん!」
車道の向こうから、聞き覚えのある声が響き渡ってきた。
間違いない、三ヶ月前に二週間でパートを辞めた藤原さんの声だ。
一瞬、逃げ出そうかと思ったが、一足遅かった。
藤原さんは、ずんずん車道を横断して、
「お久しぶりでございます〜♫」
歌うような独特のいい回しで私の退路を塞いだ。
息が上がって、持った傘が上下していた。
「まさかここでお会いするなんて!」
「お久しぶりですね」
「ええ、神様がここの道を通れと言うから、なぜかしらと思っていたのですが…」
そう言って、藤原さんは私の手をとり、
「内海さんにぃ♫お会いできるなんて!」
藤原さんは、以前、道で神様に会ったことがあるらしい。
その神様に『危機に瀕した地球をアセンションするために、あなたは生まれた』との啓示を受けて、今は地球を救うべく、様々なアルバイトを掛け持ちしながら、ヒーリングヴォイスシンガーとして、あちこちで、自らのヒーリングヴォイスを人々に伝授しているそうだ。
アセンション。なんか、昇華とか上昇とか、とりあえず上向きにするみたいな意味。
今日もバッグや服に、スピリチュアルな効果があるというアクセサリーや石をたくさん身につけていた。
喫茶店でも、コーヒー豆の瓶の中に水晶をブッ混んだり、事務室に無許可でハッピーを振り撒くシールとか言うのを貼ったりして、皆が怖気づいた頃、私の「ここの喫茶店、時給はなかなかアセンションしませんよ」の一言で、翌日には辞めて行った人だ。
慢性的な人手不足に悩むうちの喫茶店は、藤原さんくらいの人材ならば、臆せず採用してしまう。なかなかに懐の広い喫茶店でもある。
藤原さんは、私を近くのコーヒーチェーン店に誘いながら、
「内海さん、お出かけ?」
「いえ、病院の帰りです」
「まあ!あの喫茶店は運気が悪いから、体調も崩れてしまいますよね」
雨のコーヒーチェーン店は、老人たちとリモートワーカーで混雑していたが、私たちは窓辺の二階席に並んで座った。
どこの喫茶店も、老人とリモートワーカーで混雑するのである。
藤原さんは、テーブルに花のシールが貼られたボトルの液体をシュッと吹きかけてから、ニコッと笑った。
2、3分、通りいっぺんの挨拶を済ませた後、
「内海さん、お体悪いの?」
「まあ、はい、でも薬を飲めば治るので」
「お薬!」
吐き捨てるように藤原さんが言ったが、私はふと、
「藤原さんは、何か定期的に服用されている薬とかないのですか」
「それって麻薬とかのこと?」
「いえ!普通の、お医者さんで処方箋をもらうようなやつです」
「飲みません」
キッパリ言った。
「実家の母なんかは、メンタルクリニックに通って、何か薬でも出してもらいなさいなんて言いますけど、ほほほほほほほほほ」
「ああ…」
「私には神様からのお言葉と授けられたヴォイスがありますから、たいていの病気は自分で治せるんです。コロナなんかもその一つ」
そう言って、先ほどの花のシールのボトルの水を、シュッと喉に吹きかけた。
私は一気にアイスコーヒーを飲み干すと、その場をお開きにした。
「それではまた、いつかお会いする日まで!」
藤原さんは来た時と同じように、車道をズンズン渡って駅の方へ去って行った。
信じるものは救われる。
もし、藤原さんが〇〇心療内科に通ったならば、おそらく私が処方された薬より多少強い薬が出されるのだろうか。
神様が見えます、ヴォイスをもらいました、地球を助けます、アセンション。
松永医師の声が聞こえた気がした。
心療内科には、真面目な人が行くのかもしれない。
藤原さんに見える神様も、私が見たフジリンゴ族の足や黒い影も、はっきりと見えている。他の人に説明しても、きっと信じてもらえないけれど。
重量も、質量も持って、そこに見えている。
きっとなんらかの事情で、それぞれの脳内で。
しかも、藤原さんに見える神様は、喋ったりもするらしい。
それを信じ、救いを求めるか、服薬して現実を生きるか。
そこがきっと、藤原さんと私が選んだ、それぞれの別の道なのだろう。
私は病気だ。
うつ病か、統合失調症か、別の何かか。
風邪や腰痛や、盲腸や頭痛と同じ、医学的に証明された病気だ。
フジリンゴ族はこの世には存在しない。
あくまで私が脳内で作り上げたキャラクターであり、フジリンゴ天界は、私が脳内で繰り広げる世界。
そこをきちんと自覚した上で、今、なぜか見えている幻覚や幻視と相対して行かなくてはならない。喫茶店でパートをして、服薬をして、改めてフジリンゴ天を作る。
せっかく見えているのなら、その世界を形として残しておこう。
トリガーは義母の言葉であり、フジリンゴ族を荼毘に付した行為であるけれど、元はといえば、私と実母の支配的だった数十年の関係性や、そこで抑圧されてきた私自身にもあるのだろう。逆に言えば、実母や義母、立場の強い人間に依存してきた自分自身からの脱却をしているのだろう。
今、私の中で、これまで押しつぶされてきた私自身が溢れ出て来ているのだろう。
私は、私の声に、よく耳をすまさなければならない。
第13話に続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?