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一句《霜月よ 欠けては満ちる 神秘かな》東京芸術劇場コンサートホール2022-11-08(19:00)アンリ・バルダ〈ピアノ協奏曲の夕べ〉コンサートへ行きました

コンサートの感想の前に、最近、読んだ本の感想を少し、

稲垣えみ子さんの著書「老後とピアノ」ポプラ社

新聞社を50歳で早期退職し、40年ぶりにピアノのレッスンを再開する話です。でも、稲垣さん、自宅にピアノなし(冷蔵庫もなし?)なので、エピソードが盛りだくさん。その状況・心境・見通し、というか、シチュエーション・ムード・ビジョンがユーモアを交えて語られます。

私の場合、1ページ約1分で270ページすらすら読めました。日本語読むのって、こんなに簡単でしたっけ。それは、書いている稲垣さんが長らくお勤めの新聞社で培われた文章力・表現力のおかげ?

はー、自分の文章と比べると、ため息が出ます。例えてみると、私の文章が小学生が書いたオルゴールへの落書きなら稲垣さんの文章はニューヨーク・タイムズ。いや、朝日新聞でした。

で、ピアノを弾くことで、最終的には音楽の聴き方も変わり、大ピアニストの心情を察するあたりにも関心しました。

さて、私も注意深く観察して楽しんできたコンサートの感想を書いてみましょ。

コンサートについて

この日の東京は晴れ、

東京芸術劇場の入り口付近から空を見上げると月が欠け始めています、コンサート中に皆既月食です。管弦楽団は横浜シンフォニエッタ、指揮者は横山かなでさん、ピアノはアンリ・バルダ。

プログラムは1・2曲目にモーツァルト
 1)ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 K.271
 2)交響曲第31番ニ長調 K.297
休憩をはさんで、最後はショパン
 3)ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 Op.21

横浜シンフォニエッタは1998年に東京藝術大学学内でトマトフィルハーモニー管弦楽団として創設、2005年に今の名前に改名、海外のラ・フォル・ジュルネなど音楽祭に度々出演し、国内外から注目されているオーケストラです。

開演

モーツァルトのピアノ協奏曲第9番の演奏が始まり、バルダは椅子の高さを調整しながらピアノを弾き始め、オーケストラの演奏も進みます。

私は、この日始めて横浜シンフォニエッタの演奏を聴きますが、横山さんの指揮の元、一糸乱れぬキレのよいモーツァルトの演奏は清々しい。

バルダのピアノの音はまろやかで、かろやかです。その割にはオーケストラに負けない、しっかりとしたピアノの音量で、バランスもよい。そして、随所に出てくるトリルが細かくキラめきます。目立たない、控えめなトリルってすばらしい。

プログラム・ノートによるとバルダは「伝統を受け継ぐ、エレガント、かつ紳士で稀有のピアニスト」で「めったに公の場に姿を現さず」よって「知る人ぞ知る」「神秘のピアニスト」と称されているそうです。

モーツァルトのピアノ協奏曲

モーツァルトのピアノ協奏曲第9番の第2楽章カデンツァで事件(らしき事態)となります。

それまでキレキレの演奏をしていたオーケストラが不自然にシューンと途絶えてしまい、一瞬、演奏者の目が左右へ泳ぐような、指揮者が固まって解決策を模索するような、ステージ上にそんな雰囲気を感じました。

その間、ピアノは旋律を上下させて繋ぎ、次の瞬間、バルダの大きな声が響きます。

「アゲイン」

その次の拍子から、オーケストラとピアノの合奏が何事も無かったかのように再開します。ほんの数秒の出来事でした。何が起きたのでしょう。(私の記憶違いという可能性もあり)

まとめると、暗譜のバルダと譜面を見ている演奏者との間で違いが生じ、ピアノと声の合図で元へ戻した、と、私は考えます。

私の好みの展開です、ピンチをチャンスに変えたり、捨て身で勝利したり、月食から満月だったり、オウンゴールした選手が決勝ゴールを決めたり。とにかく、バルダは崩壊寸前の演奏を、焦ることなく掛け声ひとつで、元に戻したのです。

これぞエレガント(落着き・気品・優雅)。

と、ここまで書いておいて。繰り返しになりますが、すべて私の気のせいで、上記のハプニングは見当違い、という可能性もあります。(なにしろ、生演奏を観て聴いただけで、再確認ができません)

ショパンのピアノ協奏曲

モーツァルトのかろやか、まろやかな演奏で、柔らかいピアノの音を奏でていたバルダですが、ショパンのピアノ協奏曲第2番の冒頭で、いきなり「パキーン」と固い音から入りました。鮮やかです。

あと、ショパンには手癖みたいな少々不自然な運指があり、ピアニストにとっては難しいのだ、という解説を聴いて以来、ショパンの曲を聴いて、ほんのささいな引っかかりを見つけては「あっ、ショパンの手癖に引っかかった」と、勝手な解釈をする癖がついてしまいました。イヤミですね。

しかし、バルダは引っかかりません。なめらかです。しかも、モーツァルトのときには出さなかった硬い音を何度か繰り出します、お見事。

最終楽章は、弦楽器の(弓の木の部分で叩くように弾く)コル・レーニョ奏法のおまけ付きで、素晴らしいコンサートでした。

最後に

皆既月食の夜に「神秘のピアニスト」の演奏を生で聴いた人。

この世に1000人くらい。

私はその一人。


読んでいただき、ありがとうございます。

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