朝のことごと 1
天地(あめつち)が分かれ、陰陽の別が出来、亦世に光が溢れる、その以前から、世界に朝があったかどうか、思いを巡らせてみても、この思いの行き着く先がない。
昔、山陰の故郷に帰ったとき、あばらや同然になりかけた爺さまの家で、キジが二羽、つがいで裏庭に憩いしていたところを見た。朝のことである。雄は赤だの青だの派手な色を、複雑微妙なグラデーションに落とし込んで、あっさりとした調子に自分を見せた。雌は一面茶色で、面白味に欠けるような気が、見始めはしたのだが、しかし暗色の中にも、黒だの灰だのの別はあるし、段々とそのふわふわとしているらしい羽毛に、つりこまれるような感慨を抱いた。
その近所には湖がある。そのほとりに立てば、湖上に雲が、ごうごうとした風に吹かれ、ちぎれ、また結び、むくむくと色形を変えて、ひとときも安堵することがなかった。それは朝の清廉な光に湯浴みするようで、その白は絹の光沢を得たが、それ故に影は暗い。そうして、その班目の空を、冬を越すためやって来た白鳥の一群が、間を縫うように飛び去って行ったので、雲の白は一層輝き、又影は益々深みを持った。
故郷の朝は、濃密な記憶のうねりを私に与え続ける。これだけは確かだ。
太古の昔、人は太陽に手を合わせた。今でもそういう人が、あるかも知らん。私だって、地平の彼方からぼやぼやと、橙色して、液体のように揺れ動き、はっきりと境界を定め難い一つの弧が、一条の光を放ち、また二つ三つとこちらに光線を射掛け、次第に世界に形を与えるその有様、そのとき中空に所在なさげに浮かぶ雲も、紫に、しかし半透明に輝きだしていて、そういった光景を見れば、多かれ少なかれ、畏怖めいたものを感じざるを得ない。
朝は神秘。生命の原初にして、繁茂が約束される。朝とは、そういうことか。