「幸福」を塗りつぶす「不安」について
日々の幸福というのは、いともたやすく「不安」に塗りつぶされてしまう。
本来、暖かい場所で過不足なく睡眠をとり、それなりの味のそれなりの栄養の食事を摂れていれば、人は「一応幸福」なはずである。
日々の生活の中で、アクシデントもしくは恒久的に他者から受けるあらゆるハラスメント、持続型の肉体的苦痛、それらが無い状況で先に述べた「一応幸福」な状況にあるにも関わらず、「幸福感」を感じられない事が往々にしてある。
というか、たいていの人は「一応幸福」な状況で寝る前に「今日もそれなりに幸福な1日だったな~」とは思わないだろう。
何故か?何故「一応幸福」な状況で人は「幸福感」を感じられないのか?
答えは簡単。
皆さまご存知。にっくきアイツ。そう…
「不安」のせいなのだ!
人はすぐに「不安」になる。
なぜならすぐに「不安」になる人間が厳しい弱肉強食時代に生き残ってきたからだ。
現代に生きる我々は「不安感じ隊」の子孫、エリートオブエリートなのだ。
厳しい大自然の中でビクビク怯えて慎重に生きる分には「不安」は非常に役立った。
「あっちにはヤバい肉食獣がいるかもしれない!ここは慎重に行動せねば…」
「今は大丈夫だがすぐに食料が尽きるかもしれない!畑を耕し保存食を蓄えねば…」
人々は「不安」を転ばぬ先の杖として生き残り、子孫を増やしましたとさ。めでたしめでたし。
ところがどっこい、危険な肉食獣もほとんどが駆逐され、よほどの事が無い限り飢え死にする事はまず無くなった日本の社会では、もはや実態のない「不安」が「不安」を呼び、さらなる「不安」地獄へと人々を突き落とし続けている。
実態のある「不安」。
鶏が先か卵が先か。「不安」が先か、体調不良で「不安感」があるのが先か。
体調不良で強い「不安感」が出る事がある。
これは先に述べた「一応幸福」な状況からは外れてしまっている。体調不良の不安は、「睡眠不足」「栄養不足」「休養不足」からなる事が多い、と思う。
まずは自分の心身に真摯に問いかけ(おや?駄洒落かな)、自分が感じている「不安」が体調不良から生じているものか否か、洞察が必要だ。もしくは病院でお医者さんに聞いてみよう。
さて、実態のある「不安」の事はさておき、実態のない「不安」について述べていこう。
実態のない「不安」の内容は次のようなものが多いのではないだろうか。
「お金(もしくは仕事)がなくなったらどうしよう」
「近々に大事な人と別れる(死別含む)かもしれない」
「仕事(もしくは学校、日々の生活)でミスをして怒られる(もしくは恥をかく)かもしれない」
「もしかしたら自分(もしくは家族)はえげつない病にかかる(かかっている)かもしれない!」
如何だろう。あなたがつい最近も悶々とした「不安」に苛まれた時、上記の内容に当てはまりはしなかっただろうか。
誰であろう、わたくし藤野もバチクソに当てはまる。
というか日々、藤野の頭の中は上記4点で埋め尽くされている。
「もうイヤ!こんな生活!私はただ毎日おもしろおかしく幸せに生きていたいだけなの!」
そう頭を抱え、空に向かって慟哭し、神や仏を呪ったり呪わなかったりした時、藤野の灰色の脳に電流が走ったのだ。
「待てよ?別に今、そこまでしんどい状況じゃなくないか…?」
日々に感じる「不安」の種は、「かもしれない」ばかりでまだ全然実っていない。
絵に描いた「不安」。
ファンタジー要素を含んだ「不安」。
妄想風味の「不安」。
「不安」味の「不安」。
重箱の隅をつついて、ほじくりだした「不安」。
おやおや、こんな所に不安があるじゃあないか。
あの「不安」さっきからこっちをチラチラ見てる気かする。
あなたが「不安」をのぞくとき「不安」もまたこちらをのぞき込んでいる。
「不安」「不安」不安ふあんふあ~んふわん…
…止まれ!
不安の正体見たり!枯れ尾花!!
「不安」の正体が枯れ尾花だと気が付いた私は、そいつをちぎって丸めてぶん投げて、頭の片隅にぎゅうぎゅうに押し込めるだけ押し込んで、親の仇の如く可能な限り踏みつけて踏みつけて、平たく伸ばしてから慎重に慎重に息を吸って吐いてみた。
深く深く息を吸って、吐いてみた。