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榎村寛之『謎の平安前期』
無類のおもしろさだった!
タイトルがいい。思うに古代日本にはふたつの空白の世紀がある。しかし、ふたつのあり方は違う。ひとつは古墳時代に当たる4-5世紀。古墳からの発掘史料はあっても文字史料がなく文字通りの空白、客観的空白である。
もうひとつの「空白」はここでの主題となっている平安前期の200年(9-10世紀)である。文字史料はあるものの、語られることがきわめて少ない時代と、常々思ってきた。自分だけの偏見かも知れず意識の奥にしまってきた。そこへ榎村寛之が「謎の」と銘打って偏見ではないことを裏書きしてくれたわけだ。
たしかに平安時代といえば10世紀末の清少納言、紫式部から始まる平安後期に焦点があたるのが常。9世紀10世紀はなしで済ませてきたのが日本人ではないか。大河ドラマもしかり!
歴史好きのための啓蒙書(中公新書)、というには異様な記述の密度。予定の稿量を大幅に超えたのだろう、ページ数は300に迫り、文字組も小さく、編集者がつける小見出しも極力抑え、へたをすれば途中で投げ出されそうだが、硬軟とりまぜた語りがじつにおもしろく、引き込まれる。専門的に過ぎると思われる詳細度でも、書き手の意図が明確で熱量があれば、筆者のように胡乱な読者でもついていけるということがよく分かる。
労をいとわず多くの人物に言及されているが、かれらの相互関係を系図(いくつも挿入されている)から文章に起こそうとするとつい長くなってしまうのはよく分かる。普段なら系図との対照づけが煩瑣で、読み飛ばすか投げ出すかだった自分が苦にならなかったのは、文章の力のなせる業か。
上級官人から下級官人、学者、皇族や貴族、なかでも門閥の政略や庇護者の早世に振りまわされる女性たちの奇矯な運命を読んでいると、不思議な感興をおぼえる。9世紀にはまだ女性の公的職業への登用がみられたのに、10世紀摂関政治の深まりとともに衰微していき、ついには女性が姓名で記録されることもなくなっていく経緯が興味深かった。もちろん天皇の代替わりの実相も語られるが、まるで黒子に操られる着せ替え人形のよう。そこには後世の天皇マニアたちが持ち上げるほどの崇高さは微塵もない。
もともと歴史書で天皇がその事績で語られることはほとんどない。そのことの空虚さをまず思うべきである。この書においても例外ではなく、天皇に言及されるのは他事象の先後を明確にするためのメルクマールとしてである。やや踏み込んで記述されたとしても、代替わりにまつわるどろどろの駆け引きや権謀術数のみ。
血の連続に過剰な思い入れをもつ石化脳連中はぜひともこの本を読んで頭を冷やすべきである。
それにしても200年は長い! 明治維新から今日まででさえはるかに及ばない。しかも平安時代はその倍である!!