願いごとがあんまり叶わない理由を探る
朝起きたら長澤まさみになっていますように
パワハラ上司のスネが不意に砕け散りますように
なんの努力も無しに痩せますように
日本人は割と簡単な要件で祈るがその願いの宛先は具体的には示されていない場合が多い。
世界では約84%の人間が、自分の信仰する宗教を持っており、その宗教ごとの信念に従い祈りを捧げている。
キリスト教は神である天の父に対して、ヒンドゥー教は創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊心シヴァをはじめとする多くの神様に、イスラム教はアッラーに。
宗教を基にした祈りは大概宛先がある。
日出ずる国JAPANの民は約60%が特定の宗教を持たない無宗教者である。自分たちの暮らしに合わせて宗教や信仰をカスタムして生活している民族であり、クリスマスも正月も、良いとこ取りで楽しんでいる。
日本人の神様に対する考え方や宗教実践に基づいてできた宗教に「神道」があるが、森羅万象あらゆるものに神が宿るという思考は現代では希薄になってきているように思う。
そんな日本人もお寺や神社ではお参りをする。しかし気にしているのは主にご利益で、そこに祀られている神様の詳細を知る者は少ない。
おそらく大半が、ボワッとした神様であろう存在にお願いごとや決意表明をしている状況だろう。
日本と同じく無宗教者の多い国に台湾がある。しかし台湾が日本と圧倒的に違う点は、台湾人が神様にお願いをする際に「取引」の形をとる点だ。
台湾人は確実に願いを聞いてもらうために、念には念をいれたおねだりシステムを採用している。
台湾人はお参りの際に供物を持参し対価の先払いをおこなう。そして名前や住所を言い、願いを伝えたあと更に、願いを叶えてくれた暁にはこのような対価を支払いますと成功報酬まで提示する。
その後、ポエと呼ばれるカットりんごのような木片を投げて、願いが神様に届いたかどうかを確かめるのだが、ポエが揃わない場合には供物をどんどんとレベルアップすることで交渉に挑む。
日本人も願い事がある場合には、いつもは拾わないゴミを拾ったり、おっさんの長い話を黙って聞いてあげたり、トイレットペーパーを三角に折ってみたりするだろう。
しかし、念入りに供物の交渉をしている国が近くにある手前、トイレットペーパーを三角に折ったくらいで願いごとが叶う気がしない。更に日本人はその願いの宛先まで提示していないときた。
どうりで上司のスネが砕け散らないはずだ。
キリスト教徒は日曜日には礼拝に行って神を讃美し、ヒンドゥー教徒は毎朝祭壇に供物を備えて祈り、イスラム教徒は毎日5回、メッカの方向に祈りを捧げて日々神様に対して礼を尽くしている。
日本人はもうPlayStation5をお供えするくらいしかやりようがない。
詰まるところ、日本人のお願いの優先順位は世界最低レベルなのだ。
そう、日本人のお願いを神に届けるために残された選択肢は、具体的な宛先を示すか、祭壇にPlayStation5を供えるかの2択である。