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ルールが人を救うのか否か。

先日一本の映画を観てきた。

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由宇子の天秤」という作品。個人的には「A Balance」という海外向けのタイトルの方が好きだな、と思いつつ…(笑)

非常に良い作品でした。こちらを観て思ったことを記事にしますが、簡単に感想と紹介を

1,「市民と共に作り上げた映画作品」

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この作品は監督の春本監督が主催する「春組」というサロンメンバーと共に作り上げられた作品だ。

助成にも文化庁文化芸術振興費補助金が充てられていたし、エンドロールを見る限り、予算も一般的な興行映画に比べてかなり低予算でやっていると思う。

作品にもそのエッセンスは散りばめらているが、舞台あいさつで監督も語っていた「そもそも映画を知らない人からのディテールへの介入」に対するアンチテーゼをすごく感じた。

これは日本映画界にずっとずっとはびこっている「スポンサーや製作委員会(場合によってはPも)がごちゃごちゃ言って作品が台無しになる現象」を指していると思われる。

まあ映画も商業の側面は持つ必要があるため(その側面を持たないものは私の中では映像作品に括られます)、致し方ない部分はある。

が、あまりにも偏った商業映画は悲しくなるし、そうでなくても“物語の本質”にまで首を突っ込んできて、それが“誤読”されたんじゃあ、堪らない(この辺は君の名は。で語りましたが)。

故に春本監督は、本作品をより洗練するための運営を行っているのだろうなと感じた。これは凄いことだと思う。次作はクラウドファンディングらしいので、もっと楽しみになってる私がいる。

なお、そういうのが嫌で、そういう仕組みをぶち壊した監督に“庵野秀明”という方がいる(笑)そういう仕組みを持ち込んだのも、氏なのだが…(製作委員会システム)

奇しくも本作品は“2時間半”あるので、某シンエヴァくらいの尺である。

そうした中で製作し、海外の様々な映画祭にノミネートされ、釜山ではニューカレンツアワード(最高賞)を獲っている。これは素晴らしい功績だと思う。これぞ、映画だとそう思いたい。

改めて監督と関係者にはおめでとう!!すげええ!!と伝えたい。

2,「卓越したクオリティ」

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単純にこれが凄い作品だった。

2時間半あるのだが、BGMが無い。昨今の日本映画(洋画もだな)では珍しいように思う。限りなく少ない、はあるけれど、本作品は“無い”。エンドロールにも無かった(無いよね??)。

明らかに意図的に排しているわけだが、その辺りが“ドキュメンタリー映画”“ドラマ映画”の質感を行き来しているようで、とてもよかった(ドキュメンタリー映画はBGMが無いこともしばしばある)。

しかしながら、2時間半BGMを使わずに作ると、退屈になってしまうのでは?とか、感情を得にくいのでは?という懸念もたぶんあるだろう。ところがまあ、そんなことは全く無い。

むしろ独特の緊張感を持って進み、BGMが無いことさえもまったく気づけないと思う(わたしもエンドロールで気が付いた)。

そうさせてるのは、演技、脚本、編集、演出、そういった地力の方である。もちろん、映画におけるいわゆる“映画音楽”は素晴らしい演出のひとつなのだが、使わないという選択も当然とれる。

あえて“白黒”やあえて“セリフ無し”やあえて“カメラワーク無し”という傑作映画も世の中にはたくさんあるからね。今後誰かに話す時にあえて“BGM無し”の傑作は本作品だと伝えたいと思う。

カメラワークも非常に特徴的だった。

あえて揺らしているシーンが散りばめられていたりして、これは結構酔った(笑) が、感情移入するにあたって大切な演出であったと思う。

あと最も好きなのは“光の色の使い方”である。

全体的には色味は多くない映画なのだが(衣装とかも地味めである)、ゆえに場面全体の光の色味がよく映える。それぞれ意味合いの持たされている色味が画面に広がっていた。

特に好きなのは“真っ暗な部屋でのパン”“真っ白い部屋での告白”のシーン。あそこはあの感じだからこそ良かった…ラストシーンのあの光の感じも残酷さが増される色味だったように思う。

伏線(布石)も非常に多く、特に対比を強く描いているように思えた。

実家族とギョウザを分け与える性格の主人公は、果たしてどんな思いであのパンを食べたのだろう。一方で、親と食事を共にしない性格だが境遇の似た女の子に対しては、どんな感情を持っていたのだろう。

そういう思慮を巡らせてくれる仕掛けが様々だった。

((((((しまったパンフレット買ってない買う))))))

3,「ルールが人を救うのか否か」

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さてはて、本作品の主題は恐らくこれだと思う。

内容にはあまり触れないで作品を語ったが、あらすじはこんな感じ。

3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件を追うドキュメンタリーディレクターの由宇子は、テレビ局の方針と対立を繰返しながらも事件の真相に迫りつつあった。
そんな時、学習塾を経営する父から思いもよらぬ〝衝撃の事実〞を聞かされる。大切なものを守りたい、しかし それは同時に自分の「正義」を揺るがすことになるー。果たして「〝正しさ〞とは何なのか?」。–公式より–

まさに“BALANCE(天秤)”である。由宇子は様々な場面で天秤を用いらざるを得なくなるのだが、これがなかなか秀逸だった。

天秤を動かす時、由宇子はしばしば嘘をついたり、違法行為を犯したりする。一方で、ドキュメンタリー映画に対しても他者に対しても“嘘をつくこと”を許さない。どちらかというと“誤魔化すこと”を許さない感じ。

このダブルスタンダードな由宇子の態度が、観るものを揺さぶるのだと思う。

そして、確かに“嘘”“違法行為”でないと救えない人々、というの存在がこの映画の中にはちらほら出てくる。そしてこれは現実にも当てはまることがある。最近だとそれは「万引き家族」なんかでも描かれていた。

司法やルールに従うと、生きていけない人達、あるいは“苦しみながら生き抜かねばならぬ人達”という存在。

これは創作だけではなく、実際にあることだ。そのスケールに差はあるけれど。

そして、人は必要に応じて“ルールを破る”

全体正義を整えようとするとき、そこから漏れてしまう人は必ず出てくる。より豊かな福祉を目指すとき、そこに入れずにいる人は必ず出てくる。

そうした人々を個人で救おうとするとき。我々は“ルールから逸脱せねばならない場合がある”

着地点がルールを変えることであることくらい、解っている。

しかし“こと”は目の前で起こるし、時計は待ってくれないし、すぐに進みもしない。

こうした現実をすべて見ないように見ないようにすれば、この天秤は不要だ。けれどこうした現実を見ないでいれば、社会は変わらないで進んでいく。

そういうものを変えたくて、わたしはドキュメンタリー映画を撮るし、多くのドキュメンタリー映画監督は、そのような気持ちを抱いていると思う。

主人公の由宇子は、現実を直視したくない時にカメラを回す傾向がある(と私は感じた)。

処理できる現実と、そうでない現実がある。それもまた“天秤”だ。

社会という大きな天秤の中で生きている私たちが、今観るべき作品なんだろうな、と書いていて改めて思った。

公式サイト

公開劇場はこちら↓

追伸➀…

わたしの考察だと“めい”は実際には援助交際をやっていないのに、誰からも信じてもらえず、唯一の味方だと思っていた由宇子に裏切られたことがショックで、件の事故(恐らく半分故意)に合った、という解釈なんだけど、どうですかね?

カメラを構えないと真実を見誤ってしまう由宇子って設定はマジで良く出来てるな(笑)

追伸②…

先日パンフレットを購入した。どうもパンフレットにある仕掛けを含めて映画は完結するというもの。恐らく後日談的なものだろうと予測はしていた。

よくあるのが、一枚の写真を載せる方法。映画では描かれなかったシーンを載せたりする。エンドロールに載せることもあるよね。

萌の将来を一枚の写真にして載せているのかな、と思っていた。例えば美大に合格して絵を描いているシーンとかね。

何が載っているかは伏せておくが、後日談ではあった。一枚の写真では無かったけれど。確かにそれは「映画を完結させる」ためには必要なシーンではあるが、同時に映画には入れない方がいいシーンなので(そのくらい映画のラストシーンはあれで終ることに必然性があるのだ)、凄いセンスだなと感服した。

同時に、疑惑に思っていた「追伸➀」へのアンサーでもあったので、明瞭にはなった。映画には、明瞭にしなければならないことと、そうではないこととあったりする。

この部分は不明瞭のままでもよかったので、やっぱりパンフレットにしてよかったし、あまり多くを語らない仕掛けもなかなか良かったように思う。

ほんとに、凄い作品だな。
傑作である。観てほしい。拡大してるしね。

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