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師資相承を考える(2)

前回は、月間致知7月号から「師資相承」をテーマに考えました。師を持ち師から学ぶことの意義について取り上げた内容でした。

同じ7月号に、料理人の世界で、師弟関係を結び師資相承を実践してきた、葆里湛シェフ 後藤光雄氏とアル・ケッチァーノオーナーシェフ 奥田政行氏の対談記事「己のコスモを抱いて生きる」が掲載されています。

同記事の一部を抜粋してみます。

奥田 後藤シェフは、例えば、予約が入っていなくても完璧に仕込みをされる。メニュー表にある食材がないなんてことは料理人の恥だと。僕たちが自分の立場の仕事を100%できていないととにかく怒る。皿に指紋がついていただけで、すぐ手が飛んできましたね(笑)。

後藤 いやあ、ここに来る途中も話したけど、ほとんど記憶がない。まだ35歳前後で若かったから、スイッチが入ると自分の世界に入り込んで、周りが見えなくなっていました。当時のスタッフを集めて、謝りたい気持ちですよ。

奥田 誤解のないよう読者の皆様にお伝えしておくと、当時の料理界というのは、たくさんの腕利きのシェフが皆、名を上げようと群雄割拠していた時代でした。シェフになればスパルタ教育が当たり前、勝ち上がってきた弟子だけ拾う。どこもそうだったんです。

でも、怒られるうちに気づきました。最初は「一所懸命」が肝腎だと。一所懸命って鎌倉時代にできた言葉らしくて、殿様から与えられた領地を命懸けで守るという意味。僕は自分の仕事を100%クリアすることに力を注ぎました。

ところが準備がいくら完璧でも、本番で失敗すればしこたま怒られました。「奥田にあの仕事はさせるな」と交代させられるんです。一所懸命の上には「真剣勝負」のステージがあるんですね。

後藤 料理は複数人でやるものですからね。一つでも気を抜いて誰かが失敗したら、全体が止まってしまう。つまりお客様に感動を与えられない、すべてなくなるということです。その緊張感で怒ってしまっていたんでしょうね。

奥田 「おまえの『すみません』は聞き飽きた!」「同じことを言うな」と怒鳴られ、またミスしてうっかり「すみません」と言ったら叩かれる。1日20回は怒られるから「二度としません」「明日は絶対に失敗しません」とか、いろいろな謝罪の言葉を毎日考えました。でも、ある時気がついたんです。失敗しなければいいだけだって。

シェフがいつになく苛立だっていて、「いいか、失敗したら殺すぞ」と言わんばかりの殺気を放っていることがありました。その時思ったのは、きょうは常に先手先手で動かなきゃダメだと。

オーダーが来始めたら試合開始で、次にシェフが欲しいのは網だ、氷だ、と先手を打って夢中で動きました。そうしたら最後に「きょう、よかったじゃないか」って、やっと笑ってくれたんです。

ああそうか、「夢中」になればいいんだ。一所懸命、真剣勝負、そして夢中になれば、自ずと先を読む。相手の考えていることを考えるようになる。こうすれば勝負に勝てると気づいたわけです。

奥田 好きにならないと吸収できません。拒否すると絶対ダメです。修行時代は、なんでここで怒られるんだろう、って一回全部受け止める。自分で飲み込むことが大事じゃないでしょうか。「師資相承」はそこから始まると思います。

同記事には、上記に類するようなエピソードがたくさん出てきます。師匠と弟子の間の、鬼気迫る「師資相承」の実践が感じられます。

前回は、「師弟関係においては、教えんとする者の姿勢より学ばんとする者の姿勢にすべてがかかっている、と言えるのかもしれない」という示唆について取り上げました。上記記事のエピソードは、そのことを彷彿させます。

そのうえで、やはり師弟関係においては、師が弟子にとって尊敬に値する存在であることも不可欠な要件だと考えます。

同記事では、師匠である後藤氏が、人生において一貫して料理に向き合って技を極めてきたこと、70歳で海外に出てまた新たな店をチャレンジし次の目標達成を目指して動いていることなどが紹介されています。その道のプロが見ても「プロ中のプロ」と呼べる研鑽をし、プロとしてのものを持っているからこそ、厳しい環境ながらも弟子である奥田氏が師事し学びを続けたのだと思います。(とはいえ、ご本人が振り返っているように、怒号が飛び交ったり、手が飛んできたりする指導が、優れた方法だとは言えませんが)

そして、次のように語っています。これまでの師弟関係のようなやり方に執着するだけではなく、指導のあり方も見直していくべきだとしています。(一部抜粋)

後藤 現役でシェフをしている息子から、先日こんなことを相談されました。最近の若い子はちょっと注意するとすぐ辞めてしまう。迂闊に残業も頼めなくて、閉店後に息子自ら皿を洗っているらしいです。

奥田 うちでも少し厳しくすると辞表が出ることがあります。

後藤 息子に「なぜこうなったか分かる?」と聞かれて「時代だろうな」って答えたら、「この時代をつくったのはお父さんの世代だよ」と。ついてくるやつだけついてくればいい、と後進を育てようとしてこなかった。次の世代は多少育っても、3世代目は全く別の方向を向いてしまったんですね。

だから「師資相承」は大変難しい時代になっています。もう絶対的なシェフが号令を出してスタッフが動く時代じゃない。一人ひとりの感性をシェフが見出して、担当と役職を与えていく必要があります。例えば語学が堪能な子は外国人のお客様につかせる、ワインの知識が豊富な子は、業者さんを担当させてみる。スタッフそれぞれが得意分野でシェフと同じ仕事ができるようにして、責任を持たせる。その上でプラスα、料理を通して自分がやりたいことを気づかせていく。そうすれば皆、自分で学んで成長していきますよ。

奥田 一人ひとりが自分のコスモを見つけられるようにする。

後藤 そうです、一人ひとり。大変なことですけど、型通りの指導しかできないシェフ、リーダーの店は自ずと衰退していくでしょう。

一方でこれからこの時代を歩む若い人に伝えたいのは、ネットで見たような成功している人のコピーをするなということ。そこに、自分というものはありません。

結局、人のコピーをしても責任は自分が背負うしかありません。多くの人はそのリスクすら負いたがらずにコピーばかりして、結果失敗しても人に責任転嫁してしまう。これが自分自身を一番傷つけるんです。どんなに小さくても自分のコスモ、自分自身をつくり上げること。それで成功しても失敗しても味わうのは自分ですから、世界が広がっていくんですね。

奥田 後藤シェフと一緒に働いたのはたったの1年半でした。でもシェフという師から「師資相承」、受け継いだものは数え切れません。人生のあらゆる勝負に勝つ姿勢を、厨房で教わったと思っています。

後藤 正直、僕は奥田シェフと逆をやってきた人間だから、師匠ではなく〝反面教師〟と言ったほうが正しい気がしますけどね(笑)。

奥田 いや、僕は感謝しています。一所懸命、真剣勝負、夢中。どうすれば負けないかという勝負事の綾、常に気を抜かない、完璧であるとは何かを学びました。勉強の仕方を含めて、後藤シェフあっての僕なんです。いま笑っていられるのは、これまでいろんな真剣勝負に勝ててきたからこそです。

奥田 僕は、アル・ケッチァーノを日本中に料理人の粒子を散らす〝料理の松下村塾〟と思って、若い子を指導しています。シェフの教えを若いスタッフたちに「きょうの自分を超えて、新しい自分に出会ってみたいと思いなさい」などと形を変えて伝えているんです。

技術を覚える〝修業〟の上に人間としての成長〝修行〟を重ねて、自分のコスモを広げ、日本に必要とされる料理人になってほしい。そこまで行けば、これからの時代で生き残っていけます。そういう人材を一人でも多く輩出できれば、この上ない孝行だと思っています。

従来のような指導のやり方が通用しなくなっていることについて、「最近の人は年々根気がなくなっている」といった根性論や、「時代の変化」といった言葉で片付けられがちですが、その時代の変化とは何だろうかという考察が必要だと思います。ここでは3つ挙げてみます。

・体罰チックなかかわり方などが、そもそも教育上効力を持たないという認識がなされてきたこと
・師匠以外からも学びの情報が得られるようになったこと
・他の選択肢が選びやすくなったこと

同記事に見られるような指導方法が全盛だった時代は、職場でしかその仕事に関する情報は得られませんでした。その点だけでも、職場に依存する理由になり得ます。しかし、今はネットでも多くの情報が得られる時代です。そのうえで、ネットで得た知識のコピーで慢心するだけでは本質的なことが身につかないのは、同記事の示唆するところです。

逆に言うと、職場で教えられることや得られる経験が、ネットでも得られる程度の範囲内だとするなら、その職場で継続して勤めていきたいという動機形成に至らないとも言えます。

「ネットでも得られる知識をこのように使っている人たちが職場にいる」「その職場で研鑽していくうちに自分なりのコスモが見つかる手ごたえを得られている」と実感できるならば、勤続したいという動機形成につながるかもしれません。

また、今は他の職場の選択肢が見つかりやすい環境です。求人情報が得やすくなったということに加え、人材難で1人あたりに対する求人数自体が増えています。今後労働力人口がさらに減っていきますので、有効求人倍率が上がる流れは当面変わらないでしょう。当然ながら、就職氷河期の頃などと違い、「理不尽な職場であってもしがみつかざるを得ない」という心理は薄れます。

そうした環境からも、「一人ひとりの特徴を組織や責任者が見出して、担当と役職を与えていく必要がある」といった同記事の示唆は、あらゆる職場に一層求められていくのだと考えます。

そのうえで、もしかしたら、従来のような「弟子が無条件に師匠に付き従う」のが退潮するからこそ、同記事にあるような師に付き学ぶ実践をやり切った人材は、相当な人材力の差別化要素にできるかもしれないと思います。

<まとめ>
一人ひとりの特徴を組織や責任者が見出して、担当と役職を与えていく。

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