前回は、月間致知7月号から「師資相承」をテーマに考えました。師を持ち師から学ぶことの意義について取り上げた内容でした。
同じ7月号に、料理人の世界で、師弟関係を結び師資相承を実践してきた、葆里湛シェフ 後藤光雄氏とアル・ケッチァーノオーナーシェフ 奥田政行氏の対談記事「己のコスモを抱いて生きる」が掲載されています。
同記事の一部を抜粋してみます。
同記事には、上記に類するようなエピソードがたくさん出てきます。師匠と弟子の間の、鬼気迫る「師資相承」の実践が感じられます。
前回は、「師弟関係においては、教えんとする者の姿勢より学ばんとする者の姿勢にすべてがかかっている、と言えるのかもしれない」という示唆について取り上げました。上記記事のエピソードは、そのことを彷彿させます。
そのうえで、やはり師弟関係においては、師が弟子にとって尊敬に値する存在であることも不可欠な要件だと考えます。
同記事では、師匠である後藤氏が、人生において一貫して料理に向き合って技を極めてきたこと、70歳で海外に出てまた新たな店をチャレンジし次の目標達成を目指して動いていることなどが紹介されています。その道のプロが見ても「プロ中のプロ」と呼べる研鑽をし、プロとしてのものを持っているからこそ、厳しい環境ながらも弟子である奥田氏が師事し学びを続けたのだと思います。(とはいえ、ご本人が振り返っているように、怒号が飛び交ったり、手が飛んできたりする指導が、優れた方法だとは言えませんが)
そして、次のように語っています。これまでの師弟関係のようなやり方に執着するだけではなく、指導のあり方も見直していくべきだとしています。(一部抜粋)
従来のような指導のやり方が通用しなくなっていることについて、「最近の人は年々根気がなくなっている」といった根性論や、「時代の変化」といった言葉で片付けられがちですが、その時代の変化とは何だろうかという考察が必要だと思います。ここでは3つ挙げてみます。
・体罰チックなかかわり方などが、そもそも教育上効力を持たないという認識がなされてきたこと
・師匠以外からも学びの情報が得られるようになったこと
・他の選択肢が選びやすくなったこと
同記事に見られるような指導方法が全盛だった時代は、職場でしかその仕事に関する情報は得られませんでした。その点だけでも、職場に依存する理由になり得ます。しかし、今はネットでも多くの情報が得られる時代です。そのうえで、ネットで得た知識のコピーで慢心するだけでは本質的なことが身につかないのは、同記事の示唆するところです。
逆に言うと、職場で教えられることや得られる経験が、ネットでも得られる程度の範囲内だとするなら、その職場で継続して勤めていきたいという動機形成に至らないとも言えます。
「ネットでも得られる知識をこのように使っている人たちが職場にいる」「その職場で研鑽していくうちに自分なりのコスモが見つかる手ごたえを得られている」と実感できるならば、勤続したいという動機形成につながるかもしれません。
また、今は他の職場の選択肢が見つかりやすい環境です。求人情報が得やすくなったということに加え、人材難で1人あたりに対する求人数自体が増えています。今後労働力人口がさらに減っていきますので、有効求人倍率が上がる流れは当面変わらないでしょう。当然ながら、就職氷河期の頃などと違い、「理不尽な職場であってもしがみつかざるを得ない」という心理は薄れます。
そうした環境からも、「一人ひとりの特徴を組織や責任者が見出して、担当と役職を与えていく必要がある」といった同記事の示唆は、あらゆる職場に一層求められていくのだと考えます。
そのうえで、もしかしたら、従来のような「弟子が無条件に師匠に付き従う」のが退潮するからこそ、同記事にあるような師に付き学ぶ実践をやり切った人材は、相当な人材力の差別化要素にできるかもしれないと思います。
<まとめ>
一人ひとりの特徴を組織や責任者が見出して、担当と役職を与えていく。