ベトナム渡航で感じたこと(5)/念ずれば花ひらく
前回まで、年末年始のベトナム渡航で思ったことを取り上げてきました。
今日も、その続きです。
ベトナムでの年末年始の雰囲気は、実にあっさりとしたものでした。それもそのはずで、年末年始は元日が休日となるだけで、日本の年末年始のような連休もないためです。ベトナムでは、旧暦の旧正月がその役割を果たしています。旧暦の時期が、年末年始の真骨頂となります。
(ちなみに、旧暦の元日にはベトナムにいないうちの子どものために、今回特別に新暦の元日に合わせてお年玉をいただきました。お年玉という風習は、いろいろな国で見られます)
改めて感じるのは、歴史的に旧暦の風習がある多くのアジア諸国では、今でも旧暦が生活にしっかり根付いていることです。日本も以前は旧暦社会だったわけですが、今では見る影もありません。
ちなみに、一説によると、日本で明治時代に旧暦を廃止し新暦に移行したひとつの要因とされているのが、人件費削減です。
月の満ち欠けを基準に1か月を区切る旧暦では、月の日数は新暦での29.5日となるため、1年が13か月になる「閏月」が発生する年が3年に1回まわってきます。閏月の年は、月給制だと1年に13回給料を支払うことになるわけです。当時財政難だった新政府が、次の閏月の年が回ってくる前に新暦に改定し、官公吏の給料節約を図ったことも、突然新暦を採用した要因だという説があります。
いずれにしても、西欧に倣うとして真っ先に旧暦の風習を捨ててしまった日本のほうが、同じように旧暦に準じていた社会の中では少数派と言うこともできます。そして、私自身も含めてですが、その新暦の正月の風習すら大切にしなくなってきています。
年末から読み始め、今年の年始に最初に手に取って読んだ本は、坂村真民氏の「詩人の颯声を聴く」(致知出版社)でした。「念ずれば花ひらく」は、坂村氏が遺した代表的な言葉のひとつです。
坂村氏は、一遍上人(鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖)の生き方に共感し、それを体現しながら詩の創作活動を行った、「癒やしの詩人」と言われています。(以下、致知出版社サイトを参照)「詩に生き詩に死す」と、97歳で亡くなる最晩年まで、一日も休むことなく詩業に命を燃やし続け、その生涯で遺した詩は1万篇以上にも及びます。
国民教育の師父・森信三氏が「坂村真民氏はわが国現存の詩人の中では、わたくしが一ばん尊敬している詩人である」と評した詩人です。毎日午前零時に起床し、自らを厳しく律しながら紡がれたその詩は、時に悲しみに寄り添い、時に弱くなった心を鼓舞し、生きる勇気を湧き立たせてくれるものばかりです。
通読してみて、書名の通り、新しい一年を始めるにあたって、凛とした心構えをもてたような感覚です。
年明けというタイミングで同書から感じたことが、大きく3つあります。ひとつは、自分の軸を持つことの大切さです。
坂村氏は同書で、「雑種」としてあらゆるものを取り入れる日本民族の長所について説いています。同書から一部抜粋してみます。
雑種としてあらゆるものを柔軟に取り入れる強みがいかんなく発揮された典型的な時代は、明治維新以降の発展期、60年代以降の高度経済成長期でしょう。その強みを認識し、活かしていくべきだと坂村氏は説いているのだと思います。
そのうえで、自分のやってきたことや社会的に大切だとされてきたこと、信条を次々と捨てて、やたらと新しく来たものに塗り替えていけばよいわけではないのだと思います。
坂村氏は、詩に生きるという一道を軸とされた方だと思います。そのような、自分の使命と一体となった、ぶれない自分の軸があるからこその、雑種の良さではないかと思います。さもなければ、坂村氏の言う、日本の歴史も何も知らずただ常日頃をおもしろく楽しく送っていけばいいという「無国籍的な日本人」(同書より)を通り越して、「何にも帰属しないただの人」になってしまわないか。そのように感じた次第です。
冒頭の旧暦の例に見られるように、「新しいものに塗り替えられることで、これまで大切とされてきた社会的な軸が薄れていく」ことが起こりやすい傾向にあると思います。よって、無尽蔵に塗り替えることはしないということと、坂村氏のようなイメージの「自分はこれを軸にする」という自分にとってのぶれない軸を確立することが、大切になるのだと思います。
続きは、次回以降取り上げてみます。
<まとめ>
雑種としての民族性は強みになるが、自分のぶれない軸をもっておくことが大切。