指導で威圧的な言動は効果があるか
6月5日の日経新聞で「元球児の学者、体罰連鎖絶つ 選手尊重の指導法追求」というタイトルの記事が掲載されました。部活での指導方法が変わっていることを取り上げた内容ですが、これは部活に限らず企業内の指導などでも言えることだと思います。
同記事の一部を抜粋してみます。
同記事に関連し、3つのことを考えました。ひとつは、適切な指導内容を追求し続けるということです。
私も学生時代に、「動けなくなるまでうさぎ跳び」「練習終了までは水を飲んではいけない」など、今となっては間違いだらけの指導を普通のことだと思って取り組んでいた時期があります。指導を受ける側には是非を判断できないことも多いものです。指導者側が適切な指導に対して負っている役割の大きさを改めて感じます。
そのうえで、自分がそういう指導を受けてきて、周りも同様にしているのを見ると、「このテーマについての指導内容・指導方法はこういうものだ」と思い込んでしまいがちです。
同記事のようなイメージで、どこか感じている小さな疑問に焦点を当てて、発展的に考えることが大切なのだと思います。また、日常から離れたところで情報収集を行い、視点を変える考え方や新たな提案を見聞きすることで、今やっていることが適切なのか振り返る機会になります。それらによって、古くから当たり前だとされてきた方法論をアップデートし続けることです。
2つめは、相手の状況に合わせて指導内容を調整する視点です。
以前、当該テーマに関する相手の成熟レベルに合わせて、指示内容の具体度を調整するという視点を取り上げました。何の知識も経験も持たない新人に「この件は、自由な発想で企画してみて」と言っても、何も思考できず、進めようがないかもしれません。
上記の「まずは選手の考えに耳を傾ける」も、そのスポーツをそれなりにやってきたうえで選手に一定の判断力があることが前提だろうと思います。その仕事に対して何のスキルも持たない新人に、いきなり「どうしたいの」「どうしたらいいと思うの」と聞いても、答える材料が何もないかもしれません。
「状況対応型リーダーシップ」という考え方があります。その領域においての相手の知識・経験・熟練度、意欲・自信などの度合いに応じて、指示中心にするか、見守り中心になるかなど、適切なかかわり方を考え続けることが大切だと思います。
3つめは、そもそも威圧的な指導が効果を生むわけではないということです。
第861号では、歴事情の人物で、指導者中の指導者である吉田松陰氏は、弟子や子どもに対して穏やかに接し、決して声を荒げることはなかったという話を取り上げました。
体罰は論外として、手をあげるまではいかない指導については、「あえて威圧的な声などで相手に迫って発奮させることで、成長を促せる」と考えている指導者もいるようですが、本質は別のところにあるのではないでしょうか。
もちろん、指導者やコーチの熱意や本気度は指導を受ける側にも伝播するものだとは思いますが、その熱意や本気度は被指導者に対して激しい言動で直接発揮されるべきものではなくて、別の形をとるべきものなのだと思います。
吉田松陰氏のエピソードからは、指導者がメンバーから一目置かれる面を持っていれば、わざわざ声など荒げなくてもメンバーは指導者の言うことを積極的に受け止めようとする、ということも言えます。
「昔からこういうやり方でやっている」が、伝統を守るうえで適切な場合もあれば、そうでない場合もある。同記事をヒントにしたい視点だと思います。
<まとめ>
自分で自然だと思い込んでいることを、別の角度から再評価してみる。