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数値化できない効果を主観で判定する

先日、ある企業様での経営ミーティングにおいて、業務目標の設定が話題になりました。同社様では、全社目標から部門目標、個人目標へと、目指すことを目標化して連鎖させ展開する目標マネジメント(目標管理)の底上げを図っています。皆さん、力を入れて向き合っていることがうかがえます。

その中で、次のような問いかけがありました。目標マネジメントではよくある問いかけだと思います。

「組織の改善や人材育成など効果がわかりにくい取り組み、あるいは長期的に業績となって表れるかもしれないが短期的には業績としては表れにくい取り組みなどは、どこまで目標化するのが適しているのか。目標の意義をどのようにとらえればよいか」

ひとつ視点を挙げると、「主観にもとづく目標設定・評価でもよいのではないか」ということです。

企業内で組織活動として取り組むことは、最終的にすべて業績に表れるはずです。

組織にとってプラスの活動は、何らかの形で自社の生み出す商品・サービスの数量を増やすか質を高める、あるいは両方を実現させ、お客様や社会に貢献するボリュームを増やすことにつながる。もしくは、効率化や生産性向上となって、自社内の業務プロセス改善につながる。売上が増えるか、費用が下がって利益が増えるか、どちらかをもたらします。

そのうえで、それらがいつの時点で数値となって表れてくるかは、一概ではありません。例えば、営業プロモーションを強化して販売数量を増やすといった目標ならば短期の時間軸で数値に表れやすいかもしれませんが、人材育成などはそうシンプルでもありません。

・各人の考え方・意欲・スキルなどの向上→行動の変化→商品・サービスの創出やお客様からの反応の変化→売上増加

・業務改善による時間の削減→その時間を別の行動に充当→商品・サービスの創出やお客様からの反応の変化→売上などの業績

となって表れてくるまで、営業プロモーションに比べてもっと長い時間を要します。

企業理念や自社のフィロソフィーの浸透などの取り組みもそうです。

適当ですが、「企業理念の浸透を目的とした社内勉強会を新たに企画し、月1回継続的に行う」といった目標を立て、それを実行したことで、組織や人材の○○の要素が△△になりその結果●●%生産性が上がる、あるいは離職率◇◇%低下のうちこの勉強会の寄与度はいくつ、などを正確に数値で証明することは、不可能だと思います。

そうした定量的な評価をするかわりに、

・「この社内勉強会をすることで、それをしなかった場合と比べて、最終的に生産性向上をもたらす組織改善につながっていると思うか、思わないか」

・「この社内勉強会には、実施時間×人数を投入する価値があると感じるか、感じないか」「この社内勉強会と時間。どちらかを手放すとしたら、手放したくないほうは勉強会のほうだと感じるか、感じないか」

などと定性的な問いを、責任者が(必要に応じて、参加者にも聞くなどしたうえで)自身に投げかけてみる。その結果、主観で「思える」「感じる」ことができていれば、成果が上がっているとみなす、というイメージです。

主観は案外的を射ているもので、本質をとらえていることが多いものです。

自分ひとりの主観であれば、視点が偏っている可能性もあります。1人で判断することに確信が持てないのであれば、取り組んでいることやそれに向き合っている自分について事実ベースで他者に話してみて、フィードバックをもらうとよいかもしれません。自他含めた多くの人から「それは効果が出ていると思える」「その時間をかける価値あることだと思える」と主観による肯定的な評価を集めることになれば、その主観を客観に読み替えて仮説としてもよいのではないかと考えます。

例えば、そのことに関わっている大半のメンバーや経営陣の総意が、「これはよい」「これは成果につながっている」と実感できている施策や活動であれば、実際に組織がよい方向に向かっている可能性が高いものです。

逆に、大半のメンバーや経営陣の総意が、「これはどこかおかしい」「これは本当に投資する価値があるのか」と疑問を感じていれば、そのまま続けても最終的に業績を生み出す方向に向かっていない、あるいはその方向に向かっていながらも何か別のことで大きなマイナスを生み出している可能性が高いものです。

人材育成や自己研鑽など効果が分かりくい取り組みに対しても、上記のような問いに対して「はい」と自信をもって言えるかどうかを評価の指標にしてみるとよいのではないかと考えます。

また、仮に経営陣の主観による総意の判断ではズレる可能性がある、妥当な結論が期待できない、などであれば、判断軸を研ぎ澄ませていくための取り組みをするべきである、ということになるのではないかと思います。

「意味はありそうだが、短期の業績となっては現れない」組織活動は、緊急度は低いが重要度が高いテーマであることが多いものです。私生活での、健康的な食事や適度な運動といったイメージと同じで、低緊急度×高重要度の活動は、直接的な効果がわかりにくいとしてほったらかしになりがちです。その結果、生活習慣病のように、それをやらなかったことで気づいたときには大きな負の影響が実現してしまう、ということにもなりかねません。

必要な施策や活動は、目標化して日常的に取り組んでいくことが大切だと言えます。

<まとめ>
主観による評価をもってして、成果の有無を想定するという判断も、テーマによってはありではないか。

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