【カオス病院 #13】ブラックリスト入りした男~襲来編~
「うっせーんだよ! 早く診察しろ!」
病院にはおよそ似つかわしくない大きな声が響き渡る。
「大変申し訳ございませんが、順番にご案内しておりますので……」
「もう30分も待ってるんだ。今すぐ診察しないと痛い目遭わすからな!?」
(みんな既に一時間以上待ってるのに……)
クレーマーというものは残念なことにどこにでもいるようで、私が働くこの病院も例外ではなかった。
飲食店などでは、あまりに悪質なクレーマーは出入り禁止にするだろう。しかし病院は少し特殊で、余程のことがないと出入り禁止にはできないのだ。
「応召義務(おうしゅうぎむ)」というものの存在がその理由だ。これは、医師は診療行為を求められた時に、正当な理由がなければこれを拒めないというものだ。
確かに、容易に出入り禁止に出来たら、クレーマーは地域内のどこの病院にも行けなくなってしまう。
飲食店や娯楽施設には行かなくても死にはしないが、病院にはいかないと死んでしまう。
そのため、市立病院の場合は誰でも受け入れなければならないらしい……という噂もあった。
もちろん、病院によってルールが異なるだろうが、私の働くカオス病院では「次この人がきたら間違いなく事件になる」というレベルでないと出入り禁止には出来なかった。
とはいえ、ブラックリストは存在するのだ。今回はブラックリストに名を連ねた希少なモンスタークレーマーの話だ。
「今すぐ診察しないとここで死ぬぞ!」
そう待合室で怒鳴り散らしているのは、中年の男性だ。来院した時から何やら様子がおかしかったが、ここまで問題のある人だとは。
診察の待ち時間が長いのは百も承知で、怒鳴りたくなる気持ちも分かる。だが、本来診察室で仕事をしなければならない私を足止めすることで、より診察が遅れてしまうことにはどうやら気付いていないらしい。
(藤見さん! 対応させちゃってごめんね。診察今から入れるようにしたから!)
(ありがとうございます……これでなんとか収まってくれればいいのですが……)
「何ごちゃごちゃ話してるんだ!」
「す、すみません。診察は今から入れるように調整しましたので……」
「そうか。それならいいんだ」
(ホッ……)
ところが、これは単なる序章に過ぎなかった。
「はい、どうぞ~。お待たせしてすみませんねぇ。いつも混んでいるもので。今日は特別ですよぉ」
さすが乙女先生。ニコニコしながらも「次はないからな」と釘を刺している……!
「いやぁ、すみません。先生」
言うことを聞かないと毒でも盛られると思うのか、医師の前で急に大人しくなるクレーマーは多い。
「それで、今日はどうされたんですか?」
「都会病院に紹介状を書いてほしいんです。あそこ、出入り禁止になっちゃって。でも紹介状があれば診てくれるんでしょ?」
「……」
まさかの要求に私も乙女先生も思わず呆気にとられる。
当然だが、出入り禁止になってしまうと紹介状があろうがなかろうが、診察を受けることはできない。病院の敷地に入ることすら許されないのである。
「……そういった事情があるのであれば、紹介状は書けません」
乙女先生が言葉を完全に言い終わる前に、クレーマーさんは目にもとまらぬスピードで立ち上がり、傍らにあったゴミ箱を勢いよく蹴り飛ばした。
「ふざけんなコラァァァァァ!!!!」
「ひっ……」
小心者の私は思わず声をあげた。私よりも更にクレーマーさんに近い乙女先生は、少し距離を取っただけで慌てる様子はなかった。すごすぎる。だけど、もう限界だ。あの人を呼ぼう。
本当であれば警察に電話したいところだが、私はクレーマーさんに気付かれないようにある人を呼んだ。
「ウィッス! 大丈夫ですか?」
筋 盛康(きんもりやす)さんは、病院の用心棒である。身長190センチ、体重80キロの巨躯を持つ彼は、その存在だけで相手を圧倒することができる。更に、柔道・空手の段持ちという人間兵器だ。
性格はとても温厚で、普段は総務課で事務をしているというギャップがある。女性が圧倒的に多い病院では、彼のような存在が不可欠である。
「結構衝動的な方なので……注意が必要だと思います」
「変な動きしたらすぐ抑えられるように自分はここにいますね」
「ありがとうございます……」
診察室に戻ると、クレーマーさんは乙女先生になだめられて少し落ち着きを取り戻していた。
「他の病院じゃダメなんですか?」
「ダメってことはないけど……」
「では、都会病院ではなく、無難病院に紹介状書きますからね」
「……わかった」
この短時間で何があったのか分からないが、なんとか乙女先生は自力で説得したようだった。
「では、紹介状できましたら係の者からお渡ししますから、待っていて下さい」
「わかりました」
クレーマーさんが大人しく診察室をあとにする。
「はぁ~~~ハラハラしました……」
「びっくりしたわね……筋くんも、ありがとう」
「もう平気みたいッスね! 何かあったらすぐ呼んでください!」
いつもそうなのだが、筋さんが来る頃には既に騒ぎは収まっていることが多い。いつも大したことないことで呼ばれるなぁ、と思われている気がする。
「先生、大丈夫でしたか?」
「あの人、手が出るんじゃないかと思って構えたけど、これを使うまでもなかったようで良かったわ」
先生は足元に置いてある鞄からそっと催涙スプレーを取り出した。
「えぇ!? そんなもの用意してたんですか!」
「毎日診察室には持ってきてるわよ。本当に診察室っていうのはね、危ないのよ~患者さんに殺されちゃった先生だっているんだから。藤見さんも気を付けなさいね」
病院は誰でも自由に出入りできる場所である。普段は和やかな雰囲気の診察室も、血で染まることがあるのだと思い知り、鳥肌が立った。
「よし! 仕方ないから無難病院に手紙書いてちょうだい。無難病院には申し訳ないし、そもそも紹介状なしで直接無難病院に行けばいいわけだけど……紹介状がないと納得しないみたいだから」
「わかりました!」
私は急いで紹介状を作成し始めた。
それから五分も経たないうちに、去ったと思った嵐がまた到来した。
(後編へ続く)
著者:藤見葉月
イラスト・編集協力:つかもとかずき