嫌な理由
月1の面会交流
月1の心の修行とやら言って発想の転換をしようとするもやはり嫌なものは嫌なのだ
なぜこんなにも自分がこの面会交流の後、嫌な気持ちになるのか帰りの運転中ずっと考えてた
子供に少しの毒を付きながら
なんて大人気ない母親だろう(笑)
私は教科書通りの母親なんて出来ない
それをずっとモラ夫に責められて来た
大人気ないとも言われて来た
自分でわかってる節もあるからモラ夫と一緒に自分を責める
今になって思うとそれが辛かったんだと思う
今は出来ないと言えることがとても楽だ
だいたい教科書通りのお母さんって誰やねん
でも毒付いて罪悪感がない訳ではない…
のだがやはりちょっとだけ毒付いちゃう(笑)
(笑)にまで持っていけたところに昼逃げ別居して
気が楽になってることが現れてる
私をあんな目に合わせた男をなぜ慕うのか?
(本当に慕ってるのかは謎)
なんで平気で会えるのか?
嫌じゃないのか?
そこには「子供にとって父親だから」という一般の常識は横に一旦置いて考えてみる
ずっと紐解いて行けば理由は
「私の気持ちをわかってくれない」に辿り着いた
あーなんだ、そこか
それなら簡単
人は人の気持ちはわからない
想像する事は出来ても詳細に体験して実感する事なんて出来ない
どんなに近しい関係性でもそれだけは不可能だ
そう思ったら、仕方ないよな
私は私
子供は子供
十月十日私の身体に居たとて、どーんなに痛い思いをして産んだとて、人格は別なのだと言うことでしかない
子供は父親を通してそれぞれの体験をする
それだけのこと
私がモラ夫から体験し学んだように
また私と違った視点で見るのかも知れない
それは私にはわからない
長女とそのことについて話した
前は私が面会交流をした後にとても機嫌が悪くなることが嫌だったと
長女はモラ夫と面会はしない
面会交流をしてる間は私の母と3人で美味しいものを食べるのが恒例だ
時間が来て下3人を迎えに行き、子供達が車に乗り込むと気まずい空気が流れる
私が機嫌が悪くなること、下の3人がそれに気を使うこと
それが嫌なのだ
「良かったねー楽しかった?」なんて嘘でも言えない
それを子供達はみんなわかってるし私も子供達が気を遣ってるのがわかる
「仕方ないよな」と「嫌だろうな」と「その気持ちわかるよな」がなんとなくの静けさに変わってみんなちょっと傷つき、気まずいのだと長女はいう
その根源って相手を思いやる気持ちなのだからみんの優しさで出来てる
モラ夫以外はみんなちゃんと相手を思いやることが出来てる
それって凄いし素晴らしい
それならどんな事があっても大丈夫だなと結論に至った
モヤモヤする時、自分を幽体離脱させて話し相手になると見えてくることがある
そこに常識や自分の中にある「べき」を取り外してとりあえず自分の気持ちを聞いてみる
もう自分を「べき」で縛るのも攻撃するのもやめてみよう
誰にも分らなくて当たり前だし、自分が自分を理解して受け止めたらとても気持ちが落ち着くことに気づく
あることがきっかけで意識が幽体離脱し、それ以来とても気持ちが軽くなったのです
そのことはまた次の記事で書く事にします
何も考えず、常識と「べき」を取り除き自分との対話を楽しむもよし、慰めるもよし、激しく同意するもよし、それが出来るようになると自分の外側に求めるのが自然になくなりとても楽になります
もっと自分を大事にします
一気に自分の中に新しい風が吹いたようなさわやかな気持ちになりますよ
タダなので是非試してみて下さい(笑)